2015年6月29日月曜日

(十三)フーが消えた③

 このところずっと熱帯夜が続いていて、冷房なしでは眠れない。今夜も冷房したまま寝るから、フーを冷やさないようにしなければならない。そこで部屋の送風口を閉めることにしたものの、どうしても冷気がもれてくるので、フーのプラスチックケースに小鳥用の暖房器を入れる。冷気がケースの隙間から入っても、これなら冷えないはず。とにかく冷えても熱くなりすぎてもいけないのだ。フーは何もいえないから、こちらが気をつけるしかない。
 ケースはベッドから見える位置に置いたけど、夜中にちょいちょい起き上がってケースに触ってみることになった。
 卵のほうは、夫が出かかったのを取り出し、小鳥の病院で1つ出してもらったから、今夜に産む心配は薄れた。卵を産み落とすには力が必要だから、もし今夜にでも産むことになっていたら、それこそ命取りだっただろう。病院に行っておいてよかったとつくづく思う。
 フーはプラスチックケースの真ん中辺に、車に乗っていたときのように静かに座っている。動物は具合の悪いときには、じっとしていることが多いから、やはりそうなのだろうか。それとも、卵を出してもらい薬も飲んだので、少し楽になって眠っているのだろうか。
 まずは一段落したものの、とにかく、この数日は気が抜けない。あやさんは、夜中に何度も起き上がってケースに触れたり、耳をすましてみたりしたけど、明け方にはぐっすり眠っていた。
 朝になったので、そっとプラスチックケースにかけてある布を外す。何と、フーは動いている。どうやらひと山越えたようだ。それでも、まだ峠は越えていないから気は抜けないと思った。
 夫も心配して早く起きてきたので、ベッドの上にタオルを広げて、フーをケースから出した。手に載せて皮つきえを少し食べさせ、小鳥の病院でもらってきたフォーミュラーという流動食を夫が〝育て親〟を使ってフーの口に入れる。高カロリーの栄養食品らしいけど、あまり喜んで食べないから、おいしくないのだろう。それでもピーと違って、少しだけど比較的素直に食べたのでホッとする。そのあと、消化剤やビタミン剤も、わりあい素直に飲んだ。そのままプラスチックケースに戻して静かに眠らせる。
 それを朝から4回くり返して、夕方になった。丸1日たったので、フーは少し元気が出てきたらしく、狭いケースの中を動き回る。
 それでも、まだ病院でいわれている山場の3日は過ぎていないから、フーは今夜もあやさんの部屋にいる。
 プラスチックケース内はだいぶ熱くなっているようで、フーはもうずっと、暖房器の反対側に寄っている。ケースの暖房器を外して、代わりに外気を取り入れようと、窓をあけた。
 外は相変わらずの高温で、ムワッとした風が部屋に入ってくる。これなら冷房していても大丈夫そうだ。
 今夜もフーが気になるので、スタンドの小さな明かりを点けて、ケースの覆いを半分にし、ベッドからケース内が少し見えるようにする。暖房器もはずしたことだし、これでいちいち起き上がらなくてもすみそうだ。
 あやさんがベッドに入ったのは11時ころだった。横になってプラスチックケースを眺めていると、渦暗がりのケースの中で、何か白っぽいものが上下に揺れ出した。
 何だろうと見つめると、フーが1か所に留まって、体を上下に動かしているように見える。あやさんは、もしやと思って、ぼうっと浮かぶ白っぽいものに目を凝らした。
「フーが卵を産もうとしているのかしら」
 そう思うと、祈るような気持ちになる。このような衰弱した体で卵を産めば、とても危険だ。あやさんはハラハラするけど、だからといって、いまは見守るしかない。
 しばらくすると、白いものは見えなくなったので、フーがケースの中を移動したようだった。
あやさんはベッドに横になったまま、耳をすます。けれどもエアコンの音以外は何も聞こえない。不気味な静けさが続いているだけで、フーが心配になってきた。そこでまた、天国のピーにつぶやく。
「ピーちゃん、お願い、フーを守って」
 やがて、パチッ、パチッという単調な音が、間隔をおいて小さく響いてきた。
「フーが、一生懸命にえさを食べている!」
 えさの皮を割る音がフーのたくましさを物語っているようで、あやさんの目に涙が浮かぶ。母親になったフーは、ずいぶん強くなった。そして、何と健気で賢いのだろう。
 12時を過ぎたころ、あやさんはようやく安心して眠りについた。とはいえ、朝までぐっすり眠れたわけではない。フーのことで興奮していたからというより、あまりの暑さのせいだろう。
 明るくなって、あやさんは、パチッパチッという音で目を覚ます。フーが、えさの皮を割る確かな音が続いていて、ケースの中をのぞくと、きのうより元気そうだ。
 卵がどこかに落ちていないかとケース内を探してみるけど、卵らしいものは見当たらなかった。あれは見間違いだったのだろうかと、当てにならない自分の目が腹立たしいけど、フーが卵を産んでないなら、そのほうがよかったとも思う。こんな体で、もう卵は産んで欲しくない。
「だけど、あの夜中に見た白っぽい動くものは、何だったのかしら」と、あやさんは合点がいかない。
 まもなくして夫が起きてきたので、フーをプラスチックケースから出して、栄養食品などを食べさせる。フーは相変わらずいやそうに食べていたけど、おとなしく従って薬も飲んだ。
 あやさんがケースの中の掃除を始めて、えさの入ったお皿を取り出すと、中に変なかたまりが紛れていた。えさが丸まってできた団子のようにも見えるけど、手に取って触ってみると柔らかい。えさにまみれた小さな軟卵だった。やはりフーは、あのとき卵を産んでいたのだ。ツボ巣の入っていないケースでは、どこに産み落としたらいいかわからなかったのだろう。そこで足場のよいえさ入れの小皿を利用したように思う。
 フーは、あの衰弱した体で、苦しみに耐えながらも何とか工夫して卵を産んだのだ。そう思うと、あやさんの胸はフーへの思いでいっぱいになった。
 そして、3回目の夜を迎えると、また夜中にフーが1か所で上下に動いて卵を産んだ。
朝になってケース内を見ると、やはり、ちっぽけな黄粉のおはぎのような軟卵が転がっていた。触るとまだ温かくて柔らかい。
 これで今回フーが産んだ卵は、ツボ巣に産んだ3つと、夫がかき出した1つ、病院で取り出してもらった1つを合わせて、7つになる。フーはこれまで、1回に7つ産んだのが最高だから、もう産まなくてすみそうだ。ただでさえ弱っている体が、産卵で体力を消耗してしまうから心配だった。
 事件後4日が過ぎて、フーは一応、危険な峠を越えたので、ふたりはようやく落ち着いた。けれどもフーの体が受けたダメージは大きくて、うまく立てなかった。夫がベッドの上で、フーを少し運動させてみたら、うまく飛べない。小鳥の病院でいわれたとおり、片足がおかしいようで、飛ぶには飛んだものの、やっとという感じで、足が治ってちゃんと飛べるようになるまでには、まだまだ時間がかかりそうだ。

2015年6月18日木曜日

(十三)フーが消えた②

 1年前にピーが死んでから、フーはピーの忘れ形見のような存在になっている。ここでフーまでいなくなったら、文鳥たちとの暮らしも味気ないものになってしまうかもしれない。これほど心が通じ合う文鳥はいない。フーまで失ったら、しばらくは立ち直れないだろう。あやさんは思わず、天国のピーに向かってつぶやいていた。
「ピーちゃん、お願い。フーを守って!」 
 外はもう薄暗くなっている。これ以上、探しても無駄のようだ。あやさんは家に入り、ぼんやり夕飯の仕度を始めた。
 ざわざわした落ち着かない気分でいると、
「ああっ!」という夫の変な声。ギクッとして居間に行く。
「どうしたの?」ときくあやさんの目の前で、夫が何かを拾い上げた。そして、
「フーちゃん、フーちゃん」と泣きそうな声でいう。
「えっ? フー? いたの? 生きている?」
 こわごわあやさんがたずねる。
「これは卵詰まりだ」と、夫がフーのお尻から出かかっているフンまみれの白っぽいものを指で掻き出した。
 フーは瀕死の状態だけど、生きている。卵が出たので少し楽になったのか、水を飲み、えさも食べた。
「フーちゃん、どこにいたの?」
 あやさんは涙が出てきたけど、早く手当てをしてやらねばとオロオロする。夫が、
「綿棒!」といったので、綿棒を持ってきたものの、ほかに何をしたらよいかわからない。
「どこから出てきたの」
「わからんが、このダンボールの前で白いものがバサバサって動いたんだ」
 その辺はすでに、えさなどの入ったダンボール箱などをどけて、調べたはず。
「変ね。不思議。でも、フーちゃん、よく出てきてくれたわ」
 あやさんが胸がいっぱいになってフーを抱いていると、夫が急に慌てだした。
「卵詰まりは、鳥にとって命とりなんだ」
「どうするの?」
 夫はあやさんには応えずに、携帯電話を持ってきて、小鳥の病院に電話をかけた。
「明日の予約が取れた」
 電話を切った夫が、ホッとしたようにいったので、あやさんも少し落ち着いて、フーを夫に任せて、また夕食の準備にかかる。すると、夫の携帯が鳴った。夫が携帯を片手に、
「ハイ、ハイ」といっている。小鳥の病院からだった。
「卵詰まりは一刻を争うから、先生がすぐに連れてくるようにだって。診療時間外の7時に予約を入れてくれた」
 夫がそういったので、あやさんはまた慌てだす。プラスチックケースを取り出して、中に布を敷き、水とえさを入れてフーを座らせた。それをあやさんが抱えて車の助手席に乗り込むと、すぐに発車。
 もう6時を過ぎていて、夫は高速道路をとばした。フーはあやさんの抱えるプラスチックケースの中で、前を向いたままじっとしている。
「フーは、どこから出てきたのかしら」
「さあ、わからないな。呼んでも応えなかったから、気絶していたのかな」
「あの辺は、あなたも探したのに変ね」
「動かなかったから、わからなかったのかな」
 考えられるのは、やはり、身重のフーが驚いたかして飛んだものの、コントロールを失って止まり損なって落ちたということだ。落ちたのは鳥かごが乗っている机の下辺りで、しばらく気絶していたのではないだろうか。そしてやっと気がついて這い出してきた。
 文鳥はみんな臆病で、ちょっとした音や何か変わったものに、すぐに驚く。パニックになって逃げ回り、鳥かごの後ろに落ちたり、とんでもないところに潜ってしまったりする。
 鳥かごのある机の下には、えさ袋の入ったかごやダンボールが置いてあるから、気絶したフーは、そこに紛れていて、探してもわからなかったのだろう。
 とにかく気絶していて動けなかったのは間違いなさそうだ。それが、お腹の痛みか何かで気がついて、必死で這い出してきたところを、夫が見つけた。
 でも、あやさんは、それだけではないと思っている。気絶しているフーに気づかせたのは、ピーちゃんではなかったかと思うのだ。
 小鳥の病院に着いたときは、すでに7時を回っていたが、途中で電話を入れておいたので、医師が待っていてくれた。医師はフーを診て、
「卵詰まりでは、なさそうですね」といったものの、診察室の奥へフーを連れて行った。何かの処置をするらしい。
 まもなくして戻ってきた医師が、フーの体から取り出したといって、プルンとした卵を見せた。スポイトのようなもので取り出した軟卵らしい。これで、当面は卵を産まなくてすみそうで、そちらの心配はなくなったけど、体がかなり衰弱しているといわれた。それに、足もおかしいという話だから、落ちたときに痛めたようだ。
 フーの足は、元々きゃしゃで細いから、弱いのかもしれない。リンゲル注射を打ってもらったけど、この注射は1時間くらいしかもたないということだった。
「とにかく暖かくして、冷房のない部屋に置いて」といわれて、ふたりは緊張したまま栄養剤と薬を受け取り病院を出た。
 夜道をとばす帰りの車中でも、フーはケースの中でずっと前を向いておとなしくしている。
「フーちゃん、よく生きていてくれたわね」
 あやさんがケースごとフーを抱きしめる。けれどもフーは具合が悪いのか黙ってじっとしていた。
 卵詰まりは一応、大丈夫のようだけど、フーの体はまだ気の抜けない状態で、医師には、
「だいぶ弱っているから、2、3日が勝負かもしれませんね」といわれている。
 1時間ほどして家に着き、玄関をあけると、ほかの文鳥たちも心配していたのか、にぎやかにさえずって出迎えた。みんな起きていたらしい。居間に入るとフーも一緒に帰ってきたので安心したようだった。
 いつもより2時間遅れの9時に、夫がそれぞれの鳥かごに布をかけ、ほかの文鳥たちは眠った。
フーは、あやさんの部屋で寝ることになったけど、あやさんちは狭いので全館冷房になっていて、病院でいわれたような部屋はない。そこであやさんは、部屋の冷気の吹き出し口をできるだけ閉めて寝ることにした。
 フーは、リンゲル注射のおかげか、少し元気になり、えさを食べた。7時間の空腹を埋めるように、ゆっくりだけどずっと食べ続ける。そのあと寝る前に、夫が抗生剤と消化剤を飲ませて、プラスチックケースに戻した。プラスチックケースには、大きさのちょうどよさそうな、昔あやさんがつくった小皿と小物入れを起き、その中にえさと水を入れる。手近にある小ぶりで安定した容器は、それしか見つからなかった。そして、ベッドに近いドレッサーの上にケースを置いた。朝まで生きていられるか心配だけど、フーを信じて見守るしかないだろう。 (つづく)

2015年6月15日月曜日

(十三)フーが消えた①

 文鳥が8羽にもなると遊びも変化して、追いかけっこのような単純なものが目立ち、以前にピポとフーが楽しんでいた「かくれんぼ」はもう見られなくなった。チーやマイが女の子たちを追いかけている。
 チーは、幼いナナ、ココたちにも「ぐるるうー」や「ウギャア」を連発して、相変わらずみんなから敬遠されているけれど、いまはピポがいるから落ち着いている。チーはパピに向かって「ぐるるるうー」と唸ったりしないけど、パピはほかの鳥ともあまり敵対しないし、チーにしてみれば、自分より体の大きい先輩には歯向かいたくないからだろうか。
 そういえばパピは、太って貫禄も出てきた。鳴き方と飛び方が、以前よりスピーディーになっている。飛ぶことによって、全身に筋肉がついたからだろうけど、さえずりのスピードまで増したのにはちょっとびっくり。 
 公共のえさ場でフーと赤穂を食べながら、
「ウォッ、ウォッ、ウォッ」と、こんなにうまいものがあったのかとばかりに歓声をあげるパピは、巡ってきたバラ色の人生(鳥生?)を心から喜んでいるようだ。
 パピとフーの間には、あやさんにはわからない文鳥言葉が飛び交っている。子育ても、よく相談しながらやっているけど、きたばかりのパピには言葉がなかったような気がする。あったのかもしれないけど、とにかく、「ホッホッホ、ホチョチョン、ホチョチョン」と雄叫びをあげるだけだった。言葉の違う場所にきてしまって話せなかったのかもしれないけど、ピポやチーは、きたときから「チュンチュン」「チチチ」「グルルル」などと鳴いていた。フーもピーもそうだし、この家で生まれた鳥は、もちろん初めから普通に鳴いている。
 パピが言葉のようなさえずりを始めたのは、フーと一緒に暮らすようになってからで、最初はフーが一方的に話していたように思う。それにしても、いったいだれがフーに言葉を教えたのだろうと、ふと考える。ピーなのか? では、だれがピーに?
 すると、文鳥は人間の言葉をまねているような気がしてきた。

 7月28日は、ピーの1周忌。この1年は忙しかった。ピーのあとにピポがきたけれど、ピポがメスだとわかり、パピがフーのお婿さんとしてやってきた。そして、ピポの相手にとチーを迎え、そこから文鳥が増え出して、いまでは8羽もいる。フーとピーがきたときには想像もしなかったことだ。
 フーは来月には、もう3歳になる。人間の年齢でいえば20代の後半というところだろうか。4羽の母親になったものの、パピのように子煩悩でもなさそうだ。それでも、また次の卵を産み始め、8月に入った。
 8月5日、あやさんちは朝からにぎやかな文鳥たちの声に包まれていた。家の中は涼しいものの、外は、まだ早朝なのに夏の太陽がじりじりと照りつけている。
 あやさんは早く家事をすませて、文鳥たちの世話をしようと、まず洗濯機のスイッチを入れる。ところが、数日前から調子の悪かった洗濯機が、さらにおかしくなり、いつもの時間になっても洗濯物が干せない。そこで先に文鳥たちの世話をすることにした。
 こういうことは初めてではないけど、洗濯物を干す前には文鳥たちを鳥かごに戻したい。
 あやさんの役目は、鳥かご内に敷いてある新聞紙を取り替え、下のえさ入れの〝文鳥専科〟と水、それに菜さしのサラダ菜を新しくすることで、そのとき、4つある鳥かごを順番にあけて、放鳥する。
 ちなみに夫は起きるのが遅いので、たいていブランチを食べてからの作業となるけど、鳥かごの上部にあるスカイカフェとかスカイツリーという名のえさ入れの中身を替え、止まり木についたフンをウエットティッシュで拭いている。スカイカフェにはボレーや皮付え、あわ玉子、カナリーシードといったえさが、分別して入っていて、文鳥たちはどのえさも、万遍なく食べている。
 いつもより少し早いけれど、いまからみんなを放鳥しても、お腹が空けば素直に戻るだろうと、あやさんは考えていた。
 放鳥してから1時間ほどして、ようやく洗濯が終わり、居間のサッシを開けて、外側の物干竿に干せる段階になった。
 さて、文鳥たちを鳥かごに戻そうとすると、いつもより早くから遊びだしたせいか、みんな喜んで遊びに熱中している。そろそろお腹が空くはずなのに、遊びが面白くてそれどころではないらしい。捕まえようとすると、それも遊びの1つになってしまうようで、喜々として逃げ回り、手にくるどころではない。
 それでもナナ、ココ、ミミ、マイの子どもたちは捕まえて鳥かごに戻す。けれども大人の文鳥は、高い場所に止まったまま下りてきそうもない。あやさんは諦めて、4羽をそのままにして、レースのカーテンを背負ってサッシを少しあけた。
 突然、バリアーになるはずのレースのカーテンが巻き上がる。この辺は海が近いから、ときどき強い風が流れ込むのだけれど、居間に出ているのは大人の文鳥だけだから、外に出る心配はないはず。網戸も少しだけあけて、物干竿に身を乗り出す。次にまた反対側を少しあけて、何とか洗濯物を干し終えた。サッシを閉め、
「こら、みんな、鳥かごに入りなさい!」と、大人の文鳥たちを叱ると、その剣幕に恐れをなしてか、残りの文鳥も、こんどはすごすごとそれぞれの鳥かごに戻った。
「でも、何かおかしい」
 みんながバラバラに鳥かごに入り、真っ先にお手本を示して入るはずのフーの姿を見なかったような気がする。
 確かめようと、フーたちの鳥かごをのぞくと、パピがツボ巣の中から出てきて、また中に入った。そして卵を温め出す。
 まるで、あやさんにツボ巣の中を見せるために出てきたようだ。
「パピが卵を温めているってことは、フーがいないのかしら」
 フーは、お腹に卵を抱えているはずだ。不安な思いで、もういちどツボ巣をのぞくものの、やっぱりパピが出てきて中が見えるようにする。けれども、あやさんにはツボ巣の奥は見えない。
「フーちゃん、フーちゃん。中にいる?」といっても、返事はない。ツボ巣の奥のほうで4つ目の卵を産んでいる可能性もあるけど、それにしては静かすぎる。それでも、フーが卵を置いて、どこかへ行くはずがないと思い、少し待ってみる。
 そして、また鳥かごをのぞくと、パピがさっきのようにツボ巣から出てくるけど、フーの気配はない。
 夫を起こして見てもらうと、寝ぼけ眼でツボ巣をのぞいて、
「フーは、中にいないぞ」という。
「やっぱり。どこへ行っちゃったの?」
 ほかの文鳥に、たずねてみるけど、黙っているから、みんなもフーの居場所を知らないらしい。
 慌ててふたりでフーの名前を呼びながら、家中を探し回る。ほかの文鳥たちもシーンとしているけど、フーの声はしない。
 フーは卵を抱えていて飛び方もいつもとは違う。集団で動いたり、逃げ惑ったりしたら、うまく止まれないで落ちてしまったかもしれない。以前ミミが迷い込んでいたテレビの後ろや、洗濯機の裏側まで調べて回るけど、フーの鳴き声も姿もない。
 夫が、フーのいなくなった経緯をきいて、
「鳥を出したまま、サッシをあけたのか」と咎めるようにいう。フーが自分から外に出るはずがないと思っているあやさんは、心外だけど、これだけ家の中を探してもいないとなれば、外に出てしまったかもしれない。強い風がカーテンを煽ったとき、フーがさらわれた可能性も否定できないような気がした。
 夫は、ピーに加えてフーまでいなくなってしまったので、かなりショックな様子で自分の部屋に入った。
 少しして出てくると、あやさんにカラー写真入りのチラシを差し出して、近所に配るのだといった。チラシにはフーとピーが並んでいる写真が印刷されていて、見かけたら知らせて欲しいという迷子チラシだ。よその人には、どちらがフーかわからないだろうけど、2羽いるのは急いで作ったからだろう。どこかの家の庭先に白文鳥が迷い込んでいたら、知らせてもらえるかもしれない。
 外は真夏の太陽が照りつけ、風もなくひたすら暑い。人けのない住宅街を、ふたりはフーの名を呼びながら、周辺の家のポストにチラシを配って回った。
「フーちゃん、フーちゃん、どこー?」
「フー、フー、どこへ行ったー」
 近くで野鳥の声がすれば、フーもそこに紛れていないかと、近づいて行き、大声で呼びかける。フーは卵を抱えているから、そう遠くへは行けないはずだと思いながらも、遠くの小鳥の声にも、フーが一緒でないかと、名前を叫ぶ。
「フーちゃん、フーちゃあん、こっちだよ」
 あまりの暑さに、ときどき家の中に入って水分補給をしながら、何度も外に出て探し回った。
 日も暮れかけて、フーがいなくなってから7時間近くになろうとしていた。フーは、もう、どこかで保護されていない限り、生きていないかもしれない。   (つづく)

2015年6月8日月曜日

(十二)ピポとチー

 ピポがあやさんちにきてから、もうすぐ1年になる。文鳥の数も8羽に増えたけど、ピポはまだ独り暮らしのまま。
 7月3日はピポの誕生日。朝、鳥かごにかけてある布を外しながら、あやさんがいう。
「ピポちゃん、おはよう。1歳のお誕生日おめでとう」
 するとピポがツボ巣の中で頭をクックルックと振り、体をブルルンブルルンとする。
「ピポちゃん、かゆいの?」ときくと、またクルックルッ、ブルルンと換羽で羽軸ののぞいている頭を振って、かゆいことをアピールする。そのおどけた仕草に、つい笑ってしまうけど、お茶目なピポは、そんなサービス精神も持ち合わせている。
 ピポはいまでも、鳥かごから出ると、真っ先にフーのそばに飛んで行き、フーのことを母親のように思っているようだ。
 フーのほうもそれでいいようで、ピポとフーはずっと仲良し。ピポがフーに嘴でちょっかいかけても、フーは怒らない。それがいたずらだとわかっているからだろうけど、フーからピポにそんなことはしない。
 ところで、このごろでは、フーに近づくチーを追い払っているのは、もっぱら、いたずら盛りのマイになっている。そのせいか、ピポがチーとぶつかっている場面を見ない。それどころか、ピポはチーに優しくなった気さえする。
 手のひらのプールで水浴びをするときなど、これまでならチーが近くにくれば、必ず追い払っていた。それも、まるでカタキを見つけたように、すごい剣幕で怒って。それがいつのまにか、そんなこともなくなって、むしろチーが近くにくるのを待っていたりする。自分の水浴びを見せたいのだろうか。また、ときにはチーがあやさんの腕にくるのを待ってから、水に入ってプールの半分を空けていたりもする。ピポは見せたいだけでなく、チーと一緒に水浴びをしたいのかもしれない。
 ところがチーのほうは鈍くて、それには気づかないのか、いまだにフーが好きでたまらないせいなのか、ピポの好意には反応しない。もしかしたら蛇口から出る水が恐いのかもしれないが、理由はともかく、あやさんの腕までは下りてくるものの、手のひらのプールには入らない。そして、フーを見ると、追いかけて行く。 
 チーはピポに対して、相変わらず不満そうに「ぐるるうー」と鳴いているから、その鳴き方をどうにかしないとまずいだろう。とはいえ、ピポの変化は日に日にはっきりしてきた。
 近ごろでは、ピポがマイに怒っていたりもする。これまではどちらかといえば仲良しで、喧嘩などしたことがないのに、ピポがマイに向かって唸ったりする。ところがチーに対して怒るところは見なくなった。そのうち、いくら鈍いチーでも、ピポについていれば、周囲との摩擦が少ないことに気づいたようで、しだいにピポをきらわなくなり、以前よりチーがピポのそばにいることが多くなった。このまま行けば2つ目のカップルができそうだと、ふたりの期待は高まった。
 それでもチーはまだフーに気があるようで、チャンスがあれば追いかけている。ひとたび好きになったら、頭のどこかにインプットされてしまうのだろうか。なかなか忘れられないようで、いまのところチーにとってピポは、まだ女友だちといったところか。
 とにかく、ピポのチーに対する変化は明らかで、間違いなくいまはチーに気がある。このままの状態が続けば、ピポが可哀想だと、ついピポに肩入れしてしまうあやさんだけど、その反面、チーにピポはもったいないような気もする。
 とはいえ、当初の予定どおり、ピポとチーを一緒にするなら、いまがチャンス。早速2羽を同じ鳥かごに入れてみる。
 隣り合わせてあった2つの鳥かごのうち、チーの鳥かごを片づけて、ピポのほうにチーを入れる。本来ならチーの鳥かごのほうが新しいから、そちらを使いたいのだけど、メスの鳥かごにオスが入るほうがいいらしい。オスのチーやパピは、フーやピポと違って、ふだんからほかの鳥かごに平気で入って、えさを食べたりしているし、ときには、ゆうゆうと昼寝までしていて、あやさんに追い出されるくらいだから、チーがピポの鳥かごに移るほうがよさそうだ。そもそもチーは遠慮というのを知らないのだから。もし、反対にピポがチーのところへ入るとしたら、デリケートなピポが遠慮するだけでなく、落ち着かないで不安定になりかねない。
 そんなわけで、ピポの鳥かごに入ったチーだけど、まんざらでもない様子で、夫がチーのために移し替えたブランコに乗って、しつこく鈴を鳴らしていた。
 想像していたとおり、チーはピポに遠慮する様子もなく、けっこう威張っているけど、頭のいいピポは、そんな我儘なチーを適当にあしらっていて、ときには鳥かごの中で逃げ回っている。とにかくピポは機敏で、チーの何倍もすばやい。あやさんが、えさ入れの〝文鳥専科〟を新しいのに替えると、サッときて、いち早くお好みのえさを探し出している。チーは食が細いけど、ピポはそのすごい運動量に見合って、ごまの実などの高カロリーでおいしい部分をすばやく食べる。それでもチーがそばにくると、食べる場所を譲って、一応、夫を立てるなど、かいがいしい面も見せている。
 
 8羽の文鳥が一斉に居間の高い場所を移動すると、天井に扇風機があるようで、涼しい風が降りてくる。そのこと自体はいいけれど、そんなふうに、みんなが高い場所で楽しみ出すと、いつもやっかいなのが、鳥かごに戻すときだ。いくら下で呼んでも、なかなか下りてこない。
 仕方なく踏み台を持ってきて手を伸ばすと、ますます興奮して逃げ回る。汗かきの夫は頭にタオルを巻いて、捕まえようと孤軍奮闘するものの、頭のタオルが恐いのか、全く近づかなくなり、鳥かごに戻すどころではなくなる。何しろ、ちょっと変わったものが現われると、敏感に反応するから、それも1羽が驚いてパサパサすればみんな逃げるから、始末が悪い。
 とにかく集団で飛び回ると、手に負えなくなるけれど、そんなとき、夫との緊張した空気を察知して、最初に行動するのがフーだ。
「パパが怒ってる。このままだと、まずいわ」と思うのか、タイミングを見て、自分の鳥かごの入口に行く。鳥かごに行かないまでも、夫やあやさんの手に飛んできて、鳥かごに入る。すると、ほかの文鳥たちも見習って、自分の鳥かごに戻って行く。そろそろお腹が空くころで、遊びをやめるちょうどよいきっかけができたのかもしれないけど、フーはみんなのリーダーで、そんなときには大きな声で鳴いて、鳥かごに戻るよう呼びかけている。
 全員が鳥かごに戻ったか確かめると、ミミの姿がない。まだ幼いミミは、飛び方も頼りないから、どこかに落ちているかもしれない。ふたりでミミの名前を呼びながら家中を探し回るものの、こんなときには、文鳥のほうもパニックになっているから返事はない。
「落ちて、どこかに入っちゃったのかしら。脳震盪でも起こしてないといいけど」と心配するあやさん。  夫も、
「困ったな」といって立ち止まった。じつは、ミミは、もうすぐ里子に出ることになっていて、引き取るのを楽しみにしている名付け親がいる。いなくなってしまったら一大事。洗面所や玄関に行って見ても 額縁の裏をのぞいても、どこにもいない。
「おかしいわね。外に出るはずはないし。やっぱり、どこかに入り込んだとしか思えないけど」
怪我をしていないにしても、あまり長い時間、何も食べないとなれば、生命にかかわるから、何としても見つけなければならない。
 ふたりは居間に戻って、再び机の後ろやテレビ台の裏を探した。
「いたいた。こんなところに入ってる」
 夫が、突然、明るい声を響かせる。
「本人も、どこにいるのかと、戸惑っていたのだろう」
 夫がテレビ台を動かしながらいう。
「さっきのぞいたときに、鳴けばいいのに」と、あやさんは不満だけど、とにかく無事に見つかりホッとする。ミミがいたのは、テレビ台の裏ではなく、そのすきまから台の中に入ったらしく、2段棚の上段にちょこんと乗っていた。というより、狭い場所に閉じ込められて身動きできない状態でいた。ふたりがかりで、テレビ台を大きく動かすと、いきなり中から飛び出してきたミミが、そのまま真っ直ぐ飛んで、向かいのカーテンにセミのように止まる。
 そんな芸当は体の大きいナナやココにはできそうもないけれど、ミミは小ぶりだからできたのだろう。