2016年1月31日日曜日

(十七)ピポの消息

 ピポが家を飛び出してから、もう2か月半になる。ピポらしい連絡は何もなかったので、周辺に貼ったチラシは年内にはがしていた。
 けれどもチーは相変わらずさびしそうにしているし、ユウやトビもよく玄関に行く。
 そこで、先週から範囲を広げて新しい迷子チラシを配りだした。だれか見かけた人がいるのではないかと思ったからだ。
 知り合いのかたたちも親切にいろいろ聞いてくれているが、これまでほとんど情報がなかった。それがきょうの夕方、初めてピポらしい白文鳥の情報が寄せられた。チラシに書いておいた夫のケイタイに電話があったのだ。それによると、昨年暮れに家から5、600メートル離れた明海大学のオープンカレッジ辺りに白い小鳥がいたという。数人が「あそこに白い鳥がいる」と騒いでいたらしい。知らせてくれた人は明海大に行ってきいたらわかるのではないかと教えてくれた。もちろん明日、早速行くつもりだ。
 それがピポだった可能性は高いように思われる。というのは、あの日、ピポが夫のあとを追っていったとしたら、明海大は夫の向かったスーパーのそばにあるから、その辺りまで着いて行ったとも考えられるのだ。夫はカサをさしていたというから、ピポに気がつかなかったのだろうけど、ピポには夫がわかっていたのではないだろうか。かなり遠くまで行っていることになるけど、運動神経のいいピポなら、ありうることだ。それはいったい何日のことで、その白い鳥がどうなったのか早く知りたい。
 どうか、あしたいい情報が手に入るようにと気がはやる。

2016年1月28日木曜日

(十六)白文鳥のマイだよ

 ボクはマイ。この家で初めて生まれた文鳥だよ。父さんはパピで母さんはフーっていうんだけど、母さんは去年死んじゃったんだ。もう年だったからしょうがないけど、やっぱり少し淋しいよ。
 ボクは今年の5月には6歳になるけど、ボクが生まれたとき、みんなすごく喜んだらしいんだ。母さんなんか、ボクのさしえを人に任せきりにしないで、ずっと続けたらしい。そのようすが動画に撮ってあるんだよ。ふつうは、もう人にすっかり任せるときなんだってさ。でも、それを見ると、ボクも一生懸命に口をあけていて、かわいいよ。
 父さんとは子どものころはよく嘴で挨拶して仲良しだっだけど、ボクが結婚してからは、そうでもなくなった。ボクの相手はボクより7か月あとにピポとチーの間に生まれたルミ。シナモン文鳥のメスだ。
 それからボクにはボクの1か月半後に生まれた妹がいる。ナナとココで、桜文鳥だけど、ナナは去年、母さんのあとを追うように死んでしまった。子どものころは一緒によく遊んだ。ココとナナは見た目はそっくりだったけど、性格はだいぶ違って、ココは男みたいで、ナナはよく気がついて優しいやつだった。それが病気で死んでしまってかわいそうだったなあ。ナナは、いつもボクのあとを追っていたのに、ボクには奥さんがいるから、あまり遊んでやれなかったからな。ナナの相手が早く見つかるといいと思っていたのにさ……。
 妻のルミとは仲良くやっている。卵がかえらないのが残念だけど、まあ、あんまり文鳥が増えちゃっても、このうちも困るだろうからな。子どものことはそれほど気にしていないよ。ボクとルミは特別で、いつも蛇口で水浴びをしているんだ。台所が片付くと、
「マイちゃん、ルミちゃん、ぉ水浴びよ」って呼ばれるから飛んで行くんだよ。ときどきほかのやつも見にくるけど、ボクが追い払ってしまうんだ。ボクは足が少し変なんだけど、このうちでは、いちばんかわいがられているから、威張っているんだ。

2016年1月22日金曜日

(十五)シナモン文鳥のチーだよ

 ボクがこの家にもらわれてきたのは6年前、生後半年のときだった。2羽のメスの白文鳥と1羽のオスのシナモン文鳥がいて、年上の白文鳥のフーとシナモン文鳥のパピは一緒の鳥かごにいた。ボクと同年代のピポというメスの白文鳥は、活発で男みたいなやつだったから、ボクは寄ると触るとケンカした。
 だからボクが好きになったのは、ずっと年上のフーのほうだったけど、フーはもうパピと仲良くなっていて、ボクが近寄ると、ピポとパピに追い払われた。
 そのうちに、フーのところにマイ(白)というやつが生まれると、ボクの敵は4羽に増えた。だからボクは自分の鳥かごにいて、よく気晴らしにブランコの鈴を鳴らしていたものさ。
 ところがある日、気がつくと、マイはボクのあとばかり追いかけて真似をするようになっていて、ピポはなんだか優しくなっていた。ボクはもう、ひとりぼっちじゃないように思った。
 そして半年後にはピポと結婚し、その年の12月にルミ(シナモン)が生まれた。メスだったけど外見はボクにそっくり。翌年は大地震があって、ずっと揺れていたからピポは卵を産まなかったけど、年が明けるとユウ(桜)とトビ(白)の2羽が生まれた。メスばかりで少しがっかりしていたら、さらに1年後には白文鳥のオスが生まれたのさ。それがメグで、4羽の子どもを持ったわけだが、マイと結婚したルミのところには子どもが生まれていない。あとは独身者ばかりだから孫の顔は見られないと思っていたら、ユウとトビ姉妹の卵がかえって、びっくりしたよ。孫の名前はクリ、マミ、チビで、クリはこの家で初めてのクリーム文鳥だった。マミはシナモン文鳥だったけど、すぐに里子に出され、体の小さい桜文鳥のチビとクリが同じ鳥かごで暮らしていた。すると、そこにまた3羽の子どもが生まれたので、ボクは〝ひいじいさん〟と呼ばれる身分になってしまった。もう、若い連中とはつきあえない。ピポと仲良く暮らしていこうと思っていたのに、去年の11月、ピポが突然、いなくなってしまった。頼りがいのある利口な妻だったのに。あんないいやつはいないよ。
 それからまもなく、孫のチビまで死んじゃって、ボクはホントに寂しいよ。鳥かごから出てもカーテンの場所取りもできないから、人にくっついているんだ。そうしていると少しは気が休まるからな。
 ピポのやつ、どこかで好物の〝キクスイの文鳥専科〟食べさせてもらっているだろうか。ボクは心配でたまらない。毎日、なにもする気になれない。早く帰ってきておくれ。

        (写真はひとりぼっちのチー)

2016年1月14日木曜日

(十四)シナモン文鳥のパピだよ

 ボクはオス文鳥のパピ。この家にきたのは1歳のときで、家にはすでに白文鳥が2羽いた。フーとピポというメスで、ボクはすぐに年上のフーと結婚した。
 そして、マイ(白)、ナナ(桜)、ココ(桜)、ミミ(白)と4羽の子どもを持ったけど、ミミは幼くして里子に出された。去年、妻のフーがこの世を去り、続いて娘のナナまで死んでしまった。そのうえ、ピポもいなくなってしまったから、いまではボクがこの家で1番の古株。ボクの世代はボクより2週間あとでこの家にもらわれてきたチーというボクより年下のオス文鳥とボクの、2羽だけになってしまったよ。ボクもまもなく7歳になるから、完全に高齢者だよな。
 それにしてもボクは、この家にきて初めて名前をつけてもらい、フーにはいろいろ教えてもらったなあ。美人で頭が良くて優しいやつだった。何しろボクは鳥かごからどう出たらいいかもわからなかったんだから、フーもびっくりしただろうな。それでもいちおう出るには出たら、飛ぶのも大変で、いまのボクには考えられないことばかりだった。この家にきてよかったのは、フーと一緒になれて子どもまで持てたこと。そうでなかったら、ボクは一生、独りで鳥かご暮らしのままだったかもしれない。多分、いまごろはすっかり飛べなくなっていただろうな。
 去年の2月にフーが7歳半で死んでしまってからは、気の抜けた日が続いたけれど、いまはココと一緒になったから、また楽しくなった。ココも同時に生まれた姉のナナを亡くして寂しがっていたから、お互い、いまは幸せた。
 あと、何年、生きられるかわからないけど、せいぜいココと仲良くして穏やかに暮らしたいものだ。若い連中のように騒ぎまわるのは疲れるからな。
 そうか、 もう、この家にきてから6年にもなるんだな。思い返すと、フーがケガしたり、大きな地震があったりと、いろいろなことがあったなあ。いま気になるのはいなくなったピポのことだけど、あいつのことだ、何とかやっているんじゃないかな。チーのやつはピポがいなくなってから元気がなくなって気の毒だけど……。

           (写真は新年のパピとココ)

2016年1月9日土曜日

(十三)文鳥たちの新年

 2016年が始まった。今年もよろしくお願いします。
 元旦の朝、いつものように鳥かごの布を順番に外しながら、朝のあいさつをしていく。でも今朝のあいさつはふだんと違う。
「おめでとう」といったら、みんなキョトンとしていて返事がない。きっと、何か違うな? って思っていたのだろう。
 元旦といっても彼らに〝おせち料理〟がふるまわれるわけでもないから、せめて鳥かごの中に敷く新聞紙を特別なものにしてやる。以前からとっておいた白っぽい無地の包装紙で清潔感がある。そのせいか、、変化を好まない彼らにしては、満更でもないようす。元旦が特別な日だと少しはわかったのだろうか。
 とはいえ、そんなせっかくの日にもかかわらず、この日、彼らが鳥かごから出て遊べるようになったのは、息子たち家族が帰ってからの3時すぎだった。しびれをきらした文鳥たちは、鳥かごをあけると、いきおいよく飛び出して、はしゃぎ回った。それでも卵を温めているランとユウはそのままツボ巣にとどまっていたから感心だ。
 次回からは、12羽いる文鳥たちに、1羽ずつ順番に自己紹介をしていってもらおうと思う。
(写真は、よその鳥かごに興味のある若い文鳥たち)