2016年7月28日木曜日

16、きょうはピーの命日

 白文鳥のピーが死んでしまったのは7年前のきょう。彼はまだ2歳になる前だった。ピーと一緒に育った白文鳥のメスのフーも昨年、ピーのところに行ってしまった。もう4世代あとの文鳥たちもいる。
 いま家にいる白文鳥のオスはマイ(6歳2か月)、メグ(3歳半)、スー(1歳3か月)の3羽だけど、それぞれどこかピーに似ているようで、やはり違う。だいたい、あやさんが口笛を鳴らしてもだれも応えない。ピーなら、同じ音で鳴き返して目を輝かして飛んでくるのに、そんなことはない。
 みんな賢いけれど、大勢の文鳥の間で育ったせいか、人への密着度はそれほど大きくない。それでもスーは1番賢くて人になついているからピーの生まれ変わりかもしれないと思ったりもする。スーにしたら迷惑な話かもしれない。
 いまでも、ときどきピーを思い出すものの、フーのいなくなったいまでは、ピーも遠くなった。こうして世代は移っていくのだと思った。
 世代の交代といえば最近、面白い本を読んだ。
「地を継ぐ子供たち」というタイトルの電子書籍で、有村とおるのSFだけど、衝撃的な興味深い内容だったからお勧めしたい!

  (写真は在りし日のピー)
 
 

2016年7月27日水曜日

(7)人の価値

 きのう相模原の障害者施設で障害者19人が刺殺され、26人が負傷するという前代未聞の悲惨な事件が起きた。犯人は重複障害者は何の役にも立たない社会の邪魔者と考えて犯行に及んだようで、ビューティフル日本と叫んだらしい。社会の弱者を始末するという思想は、まさにナチズムだと思った。
 人はそれぞれが他人には測れない価値をもっていることを知るべきだ。かなり、前の話になるが、伯母の葬儀での従弟の言葉を思い出す。伯母は認知症になりかなり長い間患って入退院を繰り返していた。従弟をはじめ家族は伯母が亡くなった寂しさもさることながら、さぞやほっとしたことだろうとわたしは思っていた。しかし、従弟があいさつの中でいった言葉は、ハッとするものだった。
「母は長く患いましたが、その間にわたしたちに多くのことを教えてくれました」
 賢い人はどんな状況からもいろいろ学ぶのだ。自分の狭い価値観で人を裁いたりはしない。
 人は生産的なことができなくても、そこに存在するだけで価値がある。その意味も考えずに独りよがりの若者の犯した罪は社会の汚点でしかない。

2016年7月22日金曜日

(6)わがままと体験

  いま家にいる12話の文鳥のうち10羽はこの家で生まれ育った。白文長のフーとピポの夫として迎えたシナモン文鳥のパピとチーがこの10羽の文鳥たちの父親だけれど、パピとチーが来てからそろそろ6年半になる。
 年齢はパピが7歳半でチーが8月で7歳になるから、もうどちらも老齢の身で、そのせいかあまりほかのオスと争ったりしない。
 彼らの子孫はパピの子どもがココとマイ、チーの子どもがルミ、トビ、ユウ、メグで孫がクリ、ひ孫がラン、スー、ミーである。パピよりチーの子孫のほうが多いけれど、これはマイとルミの間に子どもが生まれなかったからだろう。
 こうしてみると、チーの変わった性格を受け継ぐものが多そうに思えるものの、実際にはそうでもないようだ。
 親から受け継いだ持ち前の性格というのもそれぞれにあるようだけど、育つ環境の影響もかなり大きいように思う。
 1歳のときにもらわれてきたパピは、いまでもほかの子たちと少し違い、勝手気ままに暴れ回ったりはしない。簡単にいってしまえばパピは苦労人で、〝わがままじゃない〟ということになるだろうか。
 パピが1歳までどんな暮らしをしてきたかはわからないけど、この家にきたとき全く飛べなかったことを考えれば、狭い場所に閉じ込められていたことが容易に想像できる。人を怖がっているようでもあった。きたとき、フーとピポがいたからよかったものの、どうなることかとこちらも不安だった。
 この家で生まれ育った若い文鳥たちは勝手気ままに暴れているが、パピがわたしたちを困らせたのは最初のうちだけだ。
 それは人の手が怖かったのだから、鳥かごに戻すのは大変だった。けれども、慣れてきたら、頃合いを見て、自分で鳥かごに戻るようになった。
 パピにとって幼いときの経験がよかったのかどうかはわからない。けれども鳥も人も不自由さや苦しさを経験しないと、普通に暮らせるありがたさはなかなかわからないのかもしれない。
「可愛い子には旅をさせよ」というように、子どものときに苦しさや辛さを経験したものにとっては、普通に暮らせることが、どれほど楽しくありがたいことかが、身に染みてわかるのだろう。
 もうかなり昔になるけれど、息子が中学生のころ、「これはまずい」「また、このおかずか」などと食事のときによく文句をいっていた。
「それなら自分でつくれ」といいたいところを我慢していたが、1か月ほどアメリカ中西部のある農家にホームステイしてきてからは、何でもおいしそうに食べるようになった。これまで嫌いだった〝おすまし〟もアメリカでは飲みたくなったといった。アイスクリームにはチョコレートをかけて、さらに甘くして食べるらしい。お腹の調子が悪くなったらコーラを勧められたといって、日本での食事がいかに自分に合っていたかを思い知らされたようだった。お蔭で、その後はいっさい食事の内容に文句をいうことがなくなったから、経験というのは大したものだと思った。
 とはいえ、できれば辛い体験はしたくない。だからなるべく小さな辛い体験から想像力を働かしてみることが大切なように思う。そのためには子どものころからいろんな人に出会って話を聞き、想像力を使って視野を広げることが必要かもしれない。
 世の中には自分と違う生活があることを早くから知っているほうがいいのではないかと、パピを見て思うのだ。
 余談だけれど、息子がアメリカから帰ったときにいっていた。
「アメリカで日本語を話して、日本食を食べて暮らせたらなあ」と。そして、「石ころ1個あれば、すぐにみんなで遊びを作るんだ。それに家の人は、子どもたちに何をしろとかいわないんだ。だけど、何もしないでいられないから、ぼくも農家の仕事を手伝ったら、ほめられた。牛乳がおいしかったなあ。途中でお腹がいたくならなければもっと楽しかったのに」と続けた。けれども親の期待に反して、最後まで「もっと英会話を勉強しなくちゃ」とはいわなかった。

2016年7月17日日曜日

15.ピンクの鳥かご

 その後、ココ(桜文鳥・6歳1か月・メス)は、パピ(シナモン文鳥・7歳5か月)とクリ(クリーム文鳥・2歳5か月)の間をいったりきたりしている。3羽とも去年、一緒に暮らしていた相手を亡くした身の上で、独りで暮らすのは寂しいのだろう。
 ココは去年から父親のパピと暮らすようになった。ところが、ココと同じ桜文鳥の妻(チビ)を亡くしたクリが、近頃ココに言い寄るようになり、ココの気持ちが揺るぎだした。というより、ココに本気でモーションをかけてきた初めてのオスだから、そんなクリにココが魅かれたのも無理はない。
 とはいえ、パピを捨ててクリのところへ行ってしまうのも気が引けるのか、夕方にはそれぞれの鳥かごに交代で戻っている。きのうはパピのところ、きょうはクリの鳥かごと公平に正しく交代して、1夜を過ごす。感心するほどちゃんと1日置きで、それが1週間ほど続いていた。
 ところが突然、ココが続けてクリの鳥かごに入った。あやさんが、
「たまには間違えるのかしら」と思っていたら、次の日はパピの鳥かごに入り、その後また2日つづけてクリのところに入った。
「あら、またパピのところに入ってる」
「そうだな。クリ2、パピ1の割合になったけど、まだパピに気を遣っているようだ。やっぱりクリの鳥かごも大きいのにしてやろう」
 夫はそういって、パピのものと同じ大きさの鳥かごを購入した。
 これまである5つはどれもホワイトだけれど、品切れだったのでココのことを考えて、女の子らしいピンク色のものにした。だから、クリの鳥かごというより、ココの鳥かごといったほうがよさそうだけど、新しい鳥かごに移ったら、クリとココはどんな反応をするだろうかと、楽しみにして鳥かごを組み立てた。
 そして今夜、いよいよクリの鳥かごが大きくなったけれど、ココはさっさとパピのところへ入ってしまい、独りになったクリは新しい鳥かごに入るのをいやがった。
「ピンク色じゃなくて水色にすればよかったかな」と夫はいって、クリを捕まえてピンクの鳥かごに入れた。クリは広い鳥かごの中でしばらく暴れていたものの、そのうちあきらめたのか静かになった。隣の鳥かごのミーもなかなか戻らなかった。文鳥さんは変化が苦手なのだ。
 明日、ココはクリの鳥かごにちゃんと入るだろうか。ココが大きい鳥かごを望んでいると思ったのだけれど、今夜は肩透かしをくらった感じ。

2016年7月12日火曜日

14、文鳥たちの水浴び

 文鳥たちは水浴びが好きだ。どの子も毎日、浴びている。浴びる場所はいろいろだけど、鳥かご内の水飲みで浴びるものが多い。以前に水浴び用の専用容器を鳥かごに入れたことがあったけれど、彼らは見慣れないものをいやがって、そこで浴びることはなく、かなり迷惑そうだった。その点で水飲み容器なら安心できるのかもしれない。
 チー(シナモン文鳥・6歳10か月)などは1日に何度もカラカラと音を立てて水飲み容器で浴びていて、それも放鳥時間の直前になるとよく音を立てているから〝お出かけ前のひと浴び〟ってところかもしれない。
 チーは1度だけ手のひらのプールに入って浴びたことがある。それは妻のピポがいなくなってからのことで、なにか心境の変化があったようにも思われた。けれども、そのとき以外は蛇口のそばにくるものの、プールの水を飲むだけで、そのままあやさんの腕にいたりする。蛇口から落ちる水のそばで手の中に溜まっている水に入るのは、少し勇気がいるようだ。チーがそばでウロウロしていると、いきおいよく飛んできたスーやマイに追い払われてしまう。
 パピもココも、一緒に暮らしてきたフーやナナを亡くしてからは、ほとんど手のひらのプールにくることはなくなった。パピは妻のフーの死後、1度だけ独りできて蛇口から落ちる水を頭に受けて浴びていたが、最近ではほかの文鳥たちに占拠されているからか、水飲み容器で浴びている。ココは元々、ナナのそばにやっと入っていたほどだから、たまにあやさんの頭の上まできても、独りではプールに入れない。そのかわり、ココはソファーの上に用意したランやミー用の容器に入って浴びることが多くなった。
 その容器はヒナ3兄弟が浴びていたもので、ミーはいまでもそこでしか水浴びができないけれど、ランは鳥かごの水飲みでも、スーは手のひらのプールでも浴びたりしている。
 フーやナナがいなくなったいまでは、手のひらのプールに入るのはマイとルミの夫婦だけになった。と思っていたら、スーも飛んでくるようになった。
 マイは生まれつき足の指が丸まっているので、水飲み容器ではうまく浴びられないから、フーがいたときから手のひらのプールに入っている。妻のルミもマイと一緒に浴びるのが楽しそうで、2羽で飛んできて浴びるのだけれど、近頃ではスーまで手のひらのプールに入るようになったから、ややこしくなった。
 スーがマイとルミの水浴びを邪魔するのだ。まるで自分専用のプールのように思っているのか、マイたちが浴びていると追い出してしまったり、自分が先に入ってしまったりする。それも先にスーが浴びてもダメで、すぐに戻ってきてまた入ろうとして、マイに唸られている。それでもマイのそばでご機嫌をとって鳴き、一緒に入ろうとするから、マイは唸りながら浴び続ける。けれどもルミはスーに追い払われてしまうから気の毒だ。そこでなるべくスーが鳥かごに入っているときにマイたちを浴びさせるようにしているけれど、毎日暑いから、1日に2回は浴びるのでそれもなかなか難しい。
 いまのスーは昔、チーを追いかけていたマイに似ているけれど、この年頃オスは〝お兄さん〟に憧れるのだろうか。

2016年7月6日水曜日

13、ピポは7歳

 7月3日はピポの誕生日だった。7歳になったはず。去年の秋、パリで大きなテロが起きた日、ピポはどこかへ行ってしまった。あれから8か月になるけれど、いまでもときどき思い出して「ピポ!」と口ずさんでしまう。
 ピポの夫のチーもまだピポが忘れられないようで、ほかのメスには目もくれない。放鳥しても夫やあやさんのところにくることが多く、鳥かごに戻るのも早い。
 それに比べて、やはり妻がいなくなったパピとクリは元気になっている。姉を亡くして独り身になったココをめぐって、毎日、奮闘している。
 ココはどちらも捨てきれないようで、おとといはパピの鳥かごに入って朝を迎えたが、きのうはクリの鳥かごで1晩過ごした。パピの鳥かごで朝を迎えると盛んにクリのほうに向かって鳴いているから、かなりクリに気持ちは傾いているらしい。そして、放鳥時には空いたパピの鳥かごにクリとココが入っていたりする。かと思うと、パピとココが並んでカーテンレールの上に止まっていることもあって、ココの迷いがよくわかる。そんなときクリは2羽から少し距離を置いて止まっているから、ここ数日はパピとクリがケンカをしている様子はない。クリにはパピがココの父親だとわかったのだろうか?
 いずれにしても、こちらはややこしいことになってはいるものの、チーとは違って活気がある。
 そして、今夜はまたココがパピの鳥かごに入って眠る。ココはちゃんと公平になるように、きょうはパピ、あしたはクリ、というふうに一緒に過ごすことにしているようだ。モテるとはいえ、さぞや気疲れなことだろう。
    「写真はパピの鳥かごに入ってしまったクリとココ」

2016年7月1日金曜日

12、桜文鳥のココの悩み

 ココのその後は複雑だ。あのパピの鳥かごに戻っていた日の翌日、ココはまたクリの鳥かごに入って一夜を過ごした。やはり、このままクリとの暮らしを選ぶのだろうか、と思っていたら、その次の夜はパピのところに戻っていた。
「ココは、 もうクリのところには行かないのかしら? 元のサヤに納まったのかしら?」
 そんなふうに思っていたら、放鳥時にはクリとふたりでトビとユウの鳥かごに仲良く入っていたりする。
 どうもココの希望は、広い鳥かごでクリと一緒に暮らすことのようだけど、
「そんな勝手、許されないわ」とあやさんは考える。たしかにクリの鳥かごにはツボ巣が1つしかないし、広いとはいえない。それに以前にクリといたチビはココに比べて身体が小さかった。とはいえ、それでもチビはクリとそこで3羽ものヒナをかえして育てていた。夫は、
「もう1つ大きい鳥かごを購入しようか」というけれど、それも簡単ではない。何といっても置き場がないし、パピの気持ちを思うと複雑だ。その点では、ココもパピに気を遣っているふしもあり、年老いた父親を見捨てて若いクリのところにまるっきり行ってしまっていいものかと、ためらっているのかもしれない。
 ココにとって、やっと巡ってきた春なのに、何かと悩ましい日々のようだ。
 ココは気が強くさっぱりした性格かと思っていたが、やはりフーの子供だけあって繊細で優しい面があるのかもしれない。
 文鳥も男女のあいだは難しそうで、若いうちにペアになってしまえばいいようだけど、ココの場合はそうでない。一緒に暮らしてきた姉のナナが死んでしまったから、同時期に妻を亡くした父親のパピと暮らすようになったから、どれほど好き合ってパピのところへきたかわからない。そんなココが初めて自分に言い寄ってくれるクリに魅かれるのも無理からぬ話。
 今夜もココはパピの鳥かごに入ったけれど、クリはなかなか自分の鳥かごに戻らなかった。この状態が結着するにはけっこう時間がかかりそうだ。
        (写真はツボ巣が2つある大きいほうの鳥かご)