2020年5月22日金曜日

(12)ランちゃんが天国へ


 

 5月19日のことだった。クリーム文鳥のランが5歳1か月で生涯を終えてしまった。ランはこの家で生まれた3兄弟のなかの女の子でここで生まれた最後のメス文鳥だっった。いまいるメスはピヨとモカの外からお嫁にきた2羽だけになり、独り身のオスが3羽になってしまった。多い時には14羽いた文鳥たちだけれど、今はその半数しかいない。

 ランの具合が変だと気づいたのは前日の18日だった。最初のうちは換羽のせいだと思っていだが、夫によると、その前日の17日に、ランが玄関のドアに当たって落ちるという事故があったらしい。ランが夫の頭に乗ることは珍しいことだけど、そのときランは頭に乗ったまま洗面所について行った。そして水の音に驚いて洗面所を飛び出してそのまま玄関ドアに当たったようなのだ。拾い上げて鳥かごにもどし、大勝負そうだったので、あんまり夫は気にしていなかった。

 ところが翌日に具合が悪そうにスカイカフェの上で首を曲げて眠っていた。夫は、

「あのとき頭をぶつけたのかもしれない。脳内出血を起こしたりしてないといいが・・・」と心配したが、やはりそのとおりになってしまったようだ。19日の朝、鳥かごの覆いを外したとき、ランはメグと並んでというより寄り添ってスカイカフェの上にた。何とか大乗ぐそうだと思って安心したものの、そのうちにふらふらしてきて具合が悪くなったようなので、抱いて温めてからツボ巣に入れた。メグが心配そうにツボ巣をのぞいていたが、やがてランはツボ巣の入り口に出てきてしばらくたっていた。何度か見に行ったが、そのままそこにいた。そして、メグが心配そうにツボ巣をのぞいたりもしていた。

 昼頃、あやさんが見に行くと、メグが鳴いた。ツボ巣を見るとランがいない。奥の報にへばりついていた。取り出して温めたが、もうダメだった。まだあと3年は生きられたのにと思うと、可哀そうでならない。21日に庭のお墓に埋めた。今年になってルミ、トビ、ランと3羽のメス文鳥が死んでしまった。ルミとトビは寿命だったと思うけれど、ランは、まだこれからだった。可哀そうで悲しい。

 写真はランちゃん

 
  

2020年5月13日水曜日

(11)新型コロナ禍のなかで


 

 文鳥たちは換羽が進んでいる。白い小さな毛が鳥かごの中や周りにたくさん落ちている。まだ当分つづきそうだ。コロナも政治も関係ない毎日だ。

 この国は、現政権下で、いくつものデータ改ざんが行われてきた。そのせいか、今回のコロナ禍では、そのつけがもろにでていて、人々は政府に対して疑いの目を向けざるを得なくなっている。すでにこの国の人々はもう政府が当てにならないことをこのコロナ対応で確信してしまった。

 そんななか、この政権は、また、とんでもない法案を、こっそり国会を通過させようと出してきた。三権分立をも揺るがしかねない悪法案で、でものできないコロナ禍のなか、人々は新しい抗議の手段に出た。

「検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグのついたツイッターの投稿で、世界でのトレンドの1位になったほどの盛り上がりになった。

 政府はダメだが、国民はすてたものではない。この国の悲しいところは、政権を担う国会議員があまりにも粗末なことだ。もちろん優秀な国会議員も少なくはないが、、地盤看板を受け継いだ二世三世議員にいたっては、ほとんどがあまりに程度が低いので困ったものだと思う。これも国民全体がノー天気でマスコミもかなり政権に抑え込まれているからだろうが、その根っこにあるのは、これまで長年にわたって行われてきた知識偏重の教育の結果でもあるように思う。つまり「考えない」(主張しない)人間を生み出してきた。もともと日本語は、ものごとをはっきり言って意見をたたかわせるようにはできていない。「以心伝心」「阿吽の呼吸」「慮る」といった文化が多くの日本人には根付いている。ここから気遣いやおもてなしなどというものも生まれているのだと思うが、この文化からほど遠い「厚顔無恥」な連中とやり合うようにはできていない。

 文鳥だって仲間や人の心を感じて思いやれるのに、ただ金のためや自己満足のために、「ヘイトスピーチ」を平気でする者は、気の毒なものたちとはいえ、文かとはほど遠い存在だから、文鳥より遥かにやっかいだと思うこのごろだ。