2025年12月9日火曜日

 

(二十) またもや大地震

 

 昨夜11時過ぎにベッドに横になったとき、身体がフワッとしてめまいのようなものを感じた。もしやと思ってテレビを点けると、また東北のほうで大地震があったことを報じていた。北海道に向き合った青森県沖が震源のようだったが、東日本大震災で多くの人命が津波で失われた記憶も新しく、テレビは盛んに津波の警報を流していた。今回は津波の恐ろしさを知っている人々はすぐに避難をし、津波の高さも抑えられていたので、今のところ津波の被害は限定的ですんだようだ。けれども東日本大震災のときを思うと、この後も何度も大きな地面の揺れに襲われることになり、被害は大きくなるだろうと心配になる。昨夜この家が揺れたとき、モカのことが気になったが、その後この辺では揺れは感じなかったので、ひとまず安心した。2011年の大地震のとき、この家にはたくさんの文鳥がいた。当時のいろんなことを思い出すが、特に断水で水が出なくなったのに水浴びをねだるフーを蛇口の下に連れて行き、水が出ないことを教えたら、フーが駄々をこねてすねたときの様子が目に浮かぶ。あのときは何日も水が出なかった。電気もときどき止まって、文鳥たちが寒くないか心配した。これからますます寒くなる東北のこと、人間だけでなくペットたちのことも気がかりだ。

 モカはますます賢くなって、鳥かご内に入れたあやさんの手に乗る方法を考えた。途中で落ちないようにあやさんの手に乗るために彼女はツボ巣の中に入る。するとツボ巣の中に入ってきたあやさんの手に確実に乗れるから、そのまま鳥かごから出してもらって抱かれるというわけだ。そのため、あやさんが鳥かごに近づくと、さっさとツボ巣に入るから、思わず笑ってしまう。文鳥さんはさすが賢い生き物だと思う。

2025年11月15日土曜日

 

(十九) モカは毎日、日向ぼっこ

 このところ日中の陽射しが心地よい日が続いている。午前中に居間に射し込む光線は日向ぼっこにもってこいの暖かさで、モカもその恩恵を受けることになった。

 午前10時近くになると、モカが鳴いて、当然のように鳥かごから出すようにとせがむ。日の当たるソファーの上に出して止まり木に乗せてやると、しばらくはそこに止まって日向ぼっこをし、そのうちに場所を移動して部屋の隅の床の上にいたりする。もう飛べないし目も悪いおばあさんなのだ。このいえでは目の悪いふたりの老人が日向ぼっこをして居眠りをしている。絵に描いたら平和な光景に映るだろう。モカはフユがいなくなって独りになってから、すっかりあやさんと仲良しになった。ふたりとも他に家族がいないのだから当然の成り行きかもしれない。

 モカがこんなに人に抱かれるのが好きだとは思わなかった。これまでのモカはフユに比べて人懐こいとはいえない文鳥だった。どちらかといえばおすまし文鳥で、この家に来た生後3か月くらいのときには、たくさんの文鳥を見てびっくりしてあやさんの指にしがみついていたものの、その後あまり人には近づかなかった。そのころはまだメモ良かったので、夫になったミーに対して威張っていた。そのモカがこの家で最初の頃に飼っていたフーのようにすっかり赤ちゃんみたいに、あやさんに身をゆだねている。文鳥はやっぱり繊細で賢い鳥なのだ。

2025年10月23日木曜日

 (十八)モカちゃん、すっかり甘えん坊

フユがいなくなってしまってから1か月が過ぎた。季節もやっと秋めいてきたがいきなり冬のような寒い日もあって、やはり秋は短そうだ。

 すでにモカの鳥かごには暖房を入れた。これまでは夫が全部やっていたもので、工夫の跡がうかがえるものの、目の悪いあやさんがセットするのはやっかいだ。それでも一応なんとか床暖房と電球型の暖房をセットして、急な寒さに間に合わせることができた。

 モカはもうじき7歳9か月になる。いいおばあさんだ。もう飛ぶことはとっくにできなくなっているし、鳥かご内の高い場所にもうまく上がれない。あやさんが鳥かご内の止まり木やスカイカフェの位置を工夫してみるものの、なかなかうまくいかない。毎日が試行錯誤の日々となっている。その分、モカを抱くことも多くなって、モカはすっかり甘えん坊になってしまった。以前よりも大声を出してあやさんを呼ぶ。もうモカの相手はあやさんしかいなくなってしまったのだ。ふたりとも目の悪いおばあさんだから、残された日々を仲良くしていくほかないだろう。

2025年10月1日水曜日

(十七) モカちゃんとふたり

 

きょうは久しぶりの雨でやっと涼しい日がやってきた。というのも束の間らしい。最近は 朝晩の気温は少し下がってきたものの日中は30度を超える日がまだほとんどでエアコンなしでは過ごせない。暑さ寒さも彼岸までというお彼岸も過ぎたというのに。

 そのお彼岸の9月23日秋分の日にフユが天国へ旅立ってしまった。あれほど元気だったフユの最期はあっけないものだった。昼頃から外出していたあやさんが夕方、フユを発見したとき、フユは鳥かごの下に落ちていた。そして死んでいた。まだ少し温もりはあったものの、もう死んでいるとわかった。フユの誕生日は11月18日で、あと2か月経てば8歳になる。メスの文鳥で一番長生きしたのはルミで9歳1か月だった。ほかのメス文鳥で8歳以上長生きした子はいない。オスは11歳以上も生きた文鳥もいるが、メスは総じてオスより短命で人間とは違うような気がする。

 フユの急な死は思いもよらないことだったので、いろいろ考えてしまうけれど、元気で活発だったフユらしい最期のようにも思え、命日がお彼岸だったこともあって、パパが迎えに来て旅立ったのだろうと考える。寂しくなったのはあやさんだけではない。モカはフユの鳥かごの中をのぞき、ときどきフユを呼んで鳴いている。フユが自分の鳥かごに入って来ると、あんなに怒っていたモカだったけでど、やはり寂しくて鳴いている。モカもあと4か月もすれば8歳になる。そう気が付いて不安になった。

 庭のフユが埋められたお墓の脇で白い彼岸花がまるでフユのように溌溂と雨の中で咲いていた。。

2025年9月15日月曜日

(十六)孫になついた文鳥たち

 

 夫が文鳥の面倒をみられなくなってから3か月余りになるが、いまではあやさんに加えて小学6年生の孫が世話をしている。当所は孫になつかずに近づくと暴れて手を出すと突っつかれたらしいが、今ではすっかり孫になついて手を出せば乗って来る。特にフユは積極的で孫がやってくると大いに喜んで鳴いている。やはり自分たちの世話をしてえさを換えたり可愛がってくれる人にはなつくものだ。

 そんなわけで今のところ文鳥たちのことで困ったことはないけれど、この先が思いやられる。まず、そのうちにえさがなくなるだろう。これまでは夫がネットで注文をして配達に頼っていたが、さて、これからどうしたものかと思う。さらに、鳥かごはずっと洗っていない。夫はプチプチを外して鳥かごそのものを風呂場で洗った。そして、きれいになった鳥かごにあやさんと二人で新しいプチプチを張ていた。孫にいわせると、プチプチ内側がよごれてきているそうだ。鳥かごだけをあらうならそれほど大変ではなさそうにも思えるが、実は電球型の暖房器も夫が取り外さないままになっていたのだ。取り外しは簡単かもしれないが、再び取り付けるとなると、うまくできるかどうか不安である。このまま冬に向かって行っていいものか、鳥かごを洗うべきか、考えどころになっている。

2025年8月17日日曜日

(十五) 未亡人ばかり

 

猛暑の日が続いている。あやさんちではフユとモカに加えあやさんも未亡人になってしまった。8月13日、お盆の入りの日のことだ。そしてパパは盆送りの16日に埋葬されて天国へ昇った。残されたフユとモカの面倒はあやさんに加え孫がみているが、孫はじいじ(パパ)の夢を見たといったから、文鳥の世話を託されたのかもしれない。そのせいか、文鳥たちはここ数日で、すっかり孫に慣れて、手に乗ったりしている。パパは天国で先に昇った文鳥たちに囲まれて目を細めているように思うけれど、フユとモカには何かわかっているのだろうか。

2025年7月28日月曜日

((十四) お泊りごっこ

 

先日のことだった。フユとモカの鳥かご内の掃除をしたときに、いつものようにモカの鳥かごにフユが入って行った。あやさんがフユの鳥かご内をきれいにし終わってつぎにモカの鳥かごを掃除するためにフユを元にもどそうと手を入れると、フユが止まってきた。そのままフユを自分の鳥かごにもどしてから、いつもどおりモカの鳥かごも掃除。無事に終わって、就寝前にバードバスとスカイカフェの水を換えようとしたときになにか変だと思った。よく見ると鳥かごに入違っている。どちらもすましていて、まるであやさんをからかっているよう。あやさんは彼女たちを元にもどそうとするけれど、それぞれすっかりおさまっていて動こうとしない。仕方なくあきらめたあやさんは、翌日の掃除の時まで、そのままにした。それにしても、モカがまるでフユのようにしてあやさんの手に止まり、フユの鳥かごに移ったのは不思議だった。文鳥さんもたまにはいたずらをしてみたいのかもしれない。

 久しぶりにパパが帰ってきた。鳥かごをのぞいてふたりに声をかけると、すましている。それでも静かにしていたから変な気がしてもパパと分かったのだろう。他の人が鳥かごに近づくとフユなどはいつも大暴れするから。