2015年8月28日金曜日

(十九)メグは待望の男の子

 文鳥たちは、かなり自尊心が強い。自分の名前が呼ばれると、うれしそうだけど、期待に反して呼ばれたのが別の名前だったりすると、黙って飛んで行ってしまう。そこであやさんは、頭にだれが止まったかわからないとき、ちょっといい方を工夫している。
「だあれかな? ママの頭にフンしないでね」なんて調子で、やたらに名前をいわない。そのうちに頭から下りてくればわかるから、そのとき初めて、
「ナナちゃんなの。いい子ね」などと名前をいう。すると、ナナはうれしそうに鳴いて、飛んで行ってしまうけど、ナナに限らず、ほかの文鳥も同じように鳴いて飛んで行く。うれしさに加えて恥かしさもあるようだ。ピポやマイは、お愛想によく肩に飛んでくる。
 そういえば、夫が面白いことをいっていた。ナナたちを鳥かごに戻すとき、えさを乗せた手に止まらせているけれど、そんなとき、
「ナナ、ナナって呼び捨てじゃあ、こないんだ。ちゃんとナナちゃんていわないと」
 つまり敬称がわかるというのだけど、声の調子でわかるだけかもしれない。
 あるとき、あやさんがソファーに座ってフーを手に乗せ、えさを食べさせていると、パピもやってきて、フーに並んで止まった。それでもパピは、えさを食べるわけでもない。そのうちに、あやさんの手の上で向きを変えると、人差し指の爪をそっと噛んだ。
 親愛の情を示したのだ。パピがこんなふうに甘えるのは初めてで、長い時間がかかったものの、もうすっかり、みんなと同じようになった。
 あやさんは、いい気分でそのまま歌を口ずさむ。みんな歌が好きだから、フーとパピは手に乗ったまま聴いている。そこへピポが飛んできて、フーに近い腕に止まった。すると、パピがピポを追い払おうとする。けれども間にフーがいるからピポに近寄れない。諦めてフーとおとなしく手に乗っていた。
 まもなくして、いつもは巻き上げカーテンに潜りっぱなしのチーが珍しく出てきて、胸に止まった。マイもいつのまにか肩にきている。
 みんなで静かに子守唄でも聴くように、耳を澄ましているけれど、あやさんの歌はデタラメソング。歌詞の中にだれかの名前が出てきたりする。それにしてもチーが胸にくるのは久しぶりなので、歌はこんなふうになった。
「♪あの子はだあれ、だれでしょね。なんなんなつめの花の下、お人形さんと遊んでる、かわいい、チーちゃんじゃないでしょか♪」
 すると、歌い終わったとたん、あやさんは耳の下辺りを突っつかれた。マイが「グルウウー」と、不満そうな唸り声を出す。肩に止まって期待して待っていたのに、出てきた名前は「チーちゃん」だった。自分の名前ではなかったから、抗議している。
「マイちゃん、痛いよ」
 そういったものの、手にはフーたちが乗っているから、マイを払いのけられない。マイはまた、
「グルウウー」といって、そのまま肩から動かない。
 あやさんは苦笑し、仕方なく歌い直した。もちろん最後は、
「♪かわいいマイちゃんじゃないでしょか♪」としたわけで、マイはそれを聞くと満足したのか、そのまま静かに肩にいる。 いつもマイのそばにいるはずのルミは、鳥かごで卵を温めていて、ほかの女の子たちも、まだ鳥かごにいる。
 フーの具合が悪くなってからは、フーとパピの水浴びが終わってから、ほかの文鳥たちを放鳥している。みんながいっせいに蛇口にきては困るからで、それが夫が鳥かごを掃除する順番にもなっている。
 放鳥は最初にフーとパピ、それからピポとチー、マイとルミ、そのあと少ししてから、ナナとココ、トビとユウ、という順だ。
 ところが最近では、最初に放鳥するのは別の文鳥になった。幼い白文鳥の「メグ」だ。トビとユウが生まれてから約1年後の今年、またピポとチーの子どもが生まれた。
 1月18日生まれのメグは、飛べるようになると、親のいる鳥かごの上に飛んで行く。ところが父親のチーは、あっちへ行けとばかりに「ぐるるる―、ぐるるる―」と唸って追い払う。チーは卵をかえすときや生まれたヒナにえさをやっているときは、感心な父親なのに、いったん自分から離れてしまうと、いっさい子どもの面倒をみない。関心がないというより、むしろ、そばにこられるのがいやという感じだから不思議だ。
 メグは1羽で育ったせいか、あやさんたち夫婦によくなついている。チーに邪魔者扱いされると、メグはすぐに夫やあやさんのところに飛んでくる。だから鳥かごに戻すのが簡単なので、いまは鳥かごから最初に出ている。その点、ユウとトビはなかなか鳥かごに戻らないから、出してもらうのは最後だ。
 メグは3か月を過ぎると、盛んにさえずりの練習をしている。待望のオスだとわかったので、4羽いる独身のメスたちのだれかと将来、結婚するだろう。みんな年上だけど、年の近いのは、トビとユウ。でも2羽はメグのお姉さんに当たるから、どんなものか。ナナとココはだいぶ年上になるけど面倒見のよいナナなら、いい姉さん女房になりそうだ。
 半年を過ぎたころから、メグは父親のチーにいろいろ似てきた。さえずりは「ぐるるるー」まじりのそっくりなものになっているし、父親のようにカーテンから夫に引きずり出されたいようで、潜って待っていたりする。いまのところ、「ウギャア」といわないだけましだけど、これも遺伝なのか、3羽の桜文鳥よりも白文鳥のトビに気があるらしい。この先、どうなるかわからないけれど、あやさんちでは、どうも白文鳥がもてるようだ。
 そういえば、ピッピ、ピー、フー、ピポ、マイ、ミミ、トビ、メグと白文鳥は8羽だったのに対し、シナモン文鳥は、パピ、チー、ルミの3羽で、桜文鳥はナナ、ココ、ユウのこれも3羽。圧倒的に白文鳥の数が多い。
 文鳥たちは臆病なので、ちょっと変わったことが起きると、大騒ぎする。あやさんちでは、たまに鳥かごを洗って順番に交換しているけど、そんなとき、自分の鳥かごが移動すろと、大変だ。どうなるかと心配するのはわかるけど、関係ないはずのほかの文鳥たちまで暴れるから騒ぎがかなり盛り上がる。そんなとき、
「洗って、きれいにするからね。大丈夫よ」と声をかけたりするけれど、彼らはこわごわながら興味深々。少しの物音や動きにも敏感に反応して大暴れ。恐がっているというよりも、遊びになって盛り上がっているのかもしれないけど、彼らが変化を好まないことは、確かなようだ。
 そういえば、鳥かごの下に敷く新聞紙も、何でもいいというわけにはいかない。彼らの好みは株式欄やテレビ欄。もちろん株の研究をしているわけではないけれど、カラフルなページや黒っぽいページは落ち着かないらしい。とはいえ、新聞紙は毎日取り換えるので、鳥かごが6つともなると下敷き作りにも苦労する。
 ところで彼らはテレビ欄は読めないけれど、テレビの放送は少しわかるらしい。夜の7時少し前にはテレビの音に耳を澄まして、気象情報のイントロの音楽が流れるのを待っている。別のチャンネルのままだとわかるのか、何となく落ち着かない。あやさんがチャンネルを替えて、テレビからお目当ての音楽が流れると、それまで静かだった彼らが、待ってましたとばかりにさえずる。
「ポピポピポピ」とか「チュンチュンチュンチュン」なんて具合で、これは、「もう寝る時間だから布をかけて電気を消せ」という要求でもあるようだ。ちなみに夕方になって部屋の中が薄暗くなると、同じように鳴いて、電気を点けろと要求する。
 気象情報をバックに、夫がそれぞれの鳥かごに向かって、
「チーちゃん、おやすみ。また明日、遊ぼうね」とか、
「きょうは、いい子だったね、おやすみ」なんていいながら順番に布をかけて行き、彼らの1日が終わるわけだけど、みんな安心したようにブランコに乗ったり、ツボ巣に入ったりして、眠りにつく。
 文鳥たちは生活の中で、いろいろ学習して、年々、賢くなっていく。そんな彼らの学習を支えているのは、人との深い「信頼」ではないかと、あやさんは思う。
 文鳥といると、予想外のことが起きて面倒なときもあるけど、彼らを見ていると、人間社会の縮図のように見えてくるから実に面白い。

2015年8月21日金曜日

(十八)トビとユウ②

 トビとユウはどちらもメスのようだけど、名前はいまさら変えられないから、そのままになった。ナナとココのお相手はお預けとなってしまい、フリーのメスが4羽になった。
 ふたりはマイたちの卵に期待したものの、こちらはかえらず、その後にピポが産んだ卵もかえっていない。
 マイは鳥かごの中にティッシュペーパーをくわえて行き、ツボ巣の入口にのれんのようにたらしている。卵が外から見えないようにしているようだけど、オスはこの時期になると紙切れを運ぶとはいえ、のれんをたらすのはマイだけだ。そしてルミと交代で真剣に温めている。それでも、まだ1つもかえっていない。
 みんな卵を温めているときは、鳥かごから出ても、少し経てば、どちらかがちゃんとツボ巣に戻っていて、それぞれ自分の役割を果たしている。それでも20日たっても、かえらない卵がほとんどで、そんなとき、彼らはどんな気持ちでいるのだろうか。喜んでいないのは当然だけど、どれくらい寂しいのだろうと、あやさんは気になった。
 フーは飛べなくなってからは、鳥かごの中でも自由に動けない。フーだけ高さのない別の鳥かごに移すことも考えられるけど、パピと別れて暮らすのは、かえってフーによくない気もするので、このまま同じ鳥かごに入れておくことにした。
 夫がフーたちの鳥かごの止まり木を工夫して、何とか自由にえさが食べられるようにしたけど、フーはときどき飛び移り損なって下に落ちている。初めのうちは自力で止まり木に戻ろうとしては、どこかに頭をぶつけて、目を腫らしたりしていたけど、だんだん賢くなってきて、最近では夫やあやさんに上げてもらうのを待っている。
 フーが止まり木から落ちると、たいていパピが鳴いて知らせるから、その声を聞いてあやさんが見に行くのだけれど、ただ、パピが鳴くのはフーが落ちたときとは限らない。フーがうまくえさ入れに飛び移れたときも、やはり、
「ホッホ、ホチョチョン、ホチョチョン」といい声で鳴く。この場合は、フーをほめて鳴くようだけど、あやさんには同じに聞こえるから、紛らわしい。
 困るのは、ふたりで長い時間家を空けるときで、そんなときにはフーが落ちてもいいように、鳥かごの下に水を置き、えさを撒いておく。
 いつもパピに感心するのは、夜中にフーがツボ巣から下に落ちないようにと、ツボ巣の入口の止り木でフーと向き合って眠ることだ。また、放鳥した後、フーを鳥かごに戻したときに、夫が、
「パピちゃん、フーちゃんは鳥かごに入ったよ」といえば、パピはすぐに鳥かごに戻る。パピがいるから、フーは何とか元気でいられるのだろう。
 フーの水浴びはふたりがかりでしていて、台所の蛇口まで連れて行く。あやさんが手の中に水を溜めて浴びさせ、浴び終わったら夫が受け取ってソファーまで連れて行く。パピもフーと一緒に水浴びをするので、やはり浴び終わったらフーと並んで夫の手に乗る。そしてソファーまで運んでもらうのだけど、パピは自分で飛んできて浴びるくせに、帰りはフーと一緒に運んでもらうのだから、けっこう横着なところもある。
 ほかに手のひらのプールに入るのはマイとルミで、ナナもマイと入りたがって飛んでくる。ナナがあやさんの肩からプールに入ろうと腕に下りると、マイやルミに追い払われてしまう。それでもナナは、しつこくまた水に入ろうとするものの、2羽が浴びるスペースしかないから入れない。初めのうちは、ルミがナナに追い払われることもあったけど、最近では、ルミはマイを傘に着て、ナナを追い払っている。ナナは仕方なくマイたちが浴び終わって飛んで行ってから、あやさんにいわれてひとりで浴びているけれど、やはりひとりでは、つまらなそうだ。ココを呼んだりするけど、ココはプールに入るのが恐いようで、水は飲んでも中には入らない。そしてナナが浴びるのを見ていたりする。また、ピポは手のひらのプールに1度も入ったことのないチーに気を遣って、近頃は入らなくなった。
 ところで、ナナ・ココ姉妹は、双子のように見分けが難しい。性格が違うから、どちらかわかるけど、見分けるのには、尾羽の付け根を見ればいい。少し白い部分があるのがナナで、ココにはない。
ココとだんだん見分けにくくなってきたのは、むしろ、ユウだ。ユウの体が大きくなるにつれて、そっくりになってきた。
「ココちゃん、ダメよ。フーちゃんはお母さんでしょ」などと、近づいてきたココがフーを乱暴にどけたりしないように追い払おうとして、あやさんが間違いに気づく。そして、
「あ、ユウちゃんだったの。ごめん、ごめん。ユウはそんなことしないものね」などと、ユウに謝ったりしている。ユウはまた、ピポの子どもだけあって、遊びを考え出した。
 1つは、あやさんがソファーに腰かけて組んだ足の膝から下りるもので、
「ユウちゃん、トントントン、トントントン」というと、体を横向きにして、足のスロープをトントントンと床まで下る。
 もう1つは、巻き上げカーテンを引くひもにつかまって、ターザンのように体を揺らすことだ。そんな遊びをしたのはユウだけだから、さすがにピポの子どもだけあると感心する。
 トビも、もっと白が増えてきたら、ピポそっくりになるだろう。シナモン文鳥のルミだって、ときどきチーと間違えて、フーのそばにきたら追い払ってしまう。たいていすぐに、どちらかわかるのだけれど、紛らわしいのは確かだ。
 トビは文字どおり、小さいきれいな体でピューンといきおいよく飛ぶ。無鉄砲に台所に飛んで行って、どこかに消えてしまった。探して呼んでも応えない。ユウに比べて人にあまりなつこうとしないで頑固な感じがするから、こんなとき鳴くはずはないとは思うけど、名前を呼んで探し回る。台所に飛んで行ったことは間違いないから、電気窯の陰まで調べる。すると、白い小さなものがいきなり飛び上って居間のほうに飛んで行った。性能のいい小型の円盤みたいで、やはり母親のピポの運動神経を受けついでいる。
 1月30日生まれの、トビとユウが加わって、あやさんちの文鳥は10羽になった。オスが3羽とメスが7羽で、だいぶメスのほうが多い。かえらなかったたくさんの卵が、夫によってツボ巣から片づけられた。

2015年8月14日金曜日

(十八)トビとユウ①

  地面まで跳ねてしまった兎年がようやく終わり、新しい年・辰年を迎える。元旦は息子の家族とおせちを食べて過ごしたけれど、あとは老夫婦と文鳥たちのいつもの日々。あやさんは、今年はこのまま平和であって欲しいと願う。
 七草が過ぎると、まもなくピポが1年ぶりに卵を産んだ。そして、ナナとココも卵を産んで、ピポの子どものルミまでが、マイと一緒になって初めての卵を産んでいる。
 ルミはピポたち両親のように、マイと交代でツボ巣に入って真面目に卵を温めている。ナナとココの鳥かご内の2つのツボ巣にも、それぞれの産んだ卵がたくさんあって、自分の卵をちゃんと温めているけど、こちらは多分、無精卵だから、かえることはないだろう。
「ナナちゃんとココちゃんのお婿さん、いないわね」
 いつもかえらない卵を真剣に温めている2羽が気の毒になって、あやさんがそういうと、夫が応じた。
「まあ、そういう一生もあるさ。成り行きに任せよう」
 あやさんは妙に納得する。たしかに結婚相手がいないからといって、これからナナとココにちょうどよいオスを探す気にはなれない。ピポの産んだ卵かルミの卵がかえって、ナナとココの相手ができれば、それに越したことはない。そう期待するのが一番だ。
 それにしても、こういうときは、みんな鳥かごから出ても、そのうち自分から戻ってツボ巣に入っているから手がかからなくていい。
 そして、1月30日、ピポの産んだ4つの卵のうち、2つがかえった。もしオスなら、ナナとココのお婿さんにもってこいだとばかりに、ふたりは喜んで、名前を男の子らしく「ユウ」と「トビ」にした。体が大きくて人なつこいほうが「ユウ」、小さくて頑固そうなほうが「トビ」になった。
 2月半ばには、夫のさしえが始まり、またピポとチーを鳥かごから出す。するとピポは、ルミのときとは違い、ヒナのことが気になるようで、夫がフゴからヒナたちを取り出すと、そばに飛んでくる。そして、フーがしていたように夫と一緒にえさを食べさせだした。
 ピポが口移しでえさを食べさせると、ヒナはにぎやかに鳴いて喜ぶ。するとチーまでがそばにきて、ヒナのえさやりに参加する。まるでフーとパピのときのようになって、ルミのときとは大違い。ヒナが2羽に増えたので、夫だけに任せておけないとでも思ったのだろうか。
 それともピポとチーが、この1年で成長して、親らしくなったのだろうか。理由はわからないけど、なかなかじっとしてはいないものの、夫のそばにきては、さしえを手伝ったり様子を見たりしている。そんなピポとチーの姿に思わずふたりの顔がほころぶ。
 トビが〝育て親〟の棒ではなかなか口をあけないとき、親鳥が食べさせたり、そばで鳴いて口をあけさせたりする。それで頑固なトビも、何とか夫のさしえを食べるようになった。ルミとユウに比べて、トビのさしえはスムーズにはいかなかったから、ピポにはそれがわかっていたのかもしれない。
  トビは白文鳥とわかり、ユウも、ナナやココのときとは違って、早い段階で桜文鳥と判明した。どうも白文鳥のほうが桜文鳥よりも小ぶりで神経質な感じがするけど、この特性が一般的なものなのかは、わからない。

 トビとユウが飛べるようになると、ピポは一緒に飛んで止まる場所を教えたりして、楽しそうだ。そんなときでもチーは、相変わらずカーテンにもぐっていて関係ない様子。カーテンから夫に引きずり出されるのを待っているのだろう。チーがトビやユウと遊んだりしないので、ピポひとりで面倒を見ている。
 ルミが生まれたとき、ピポは1歳半にもなっていなかったから、まだ子どもだったのかもしれない。トビとユウが生まれたのはその1年後だから、2歳半になっていた。
 文鳥の平均寿命が7~8年とすると、人間でいえば前回は10代後半、今回は20代後半で子育てをしているようなものだろうから、やはり親らしくなれる年齢というのがあるような気もする。
 トビは、偶然ながら、その名のとおり小さな体でピョーンと飛ぶけど、あまり人間になじまない様子。
それに比べて、ユウのほうは人なつこくて、ひょうきんだ。
 ある日、夫の帰りが遅かったので、トビとユウがお腹をすかしているかもしれないと思ったあやさんが、〝育て親〟の代わりに人差し指に湿らしたむきえを付けて鳥かごの中に差し出すと、トビは恐がって鳥かごの奥に逃げてしまった。ところがユウは平気で人差し指に着いたえさを食べる。お腹がすいていたのだろうけど、愛嬌のある目でこちらを見ては食べるので、とても可愛い。
 そういえば、ピポの父親は桜文鳥だけど、彼もひょうきん者だと聞いているから、ユウは、おじいさんに似ているのかもしれない。
 震災を知らない2羽は、たまにくる自信の揺れにも動揺するふうもなく、順調に育っている。あやさんちもようやく落ち着きを取り戻してきたものの、トビとユウは、いまだにぐぜらない。
 ピポがまた次の卵を産んだ。マイがピポのツボ巣に入って、その卵を抱いている。よその卵がどんなものかと、抱き心地を比べてみているのだろうか。もっとも、マイは卵の上が好きなようで、比べていたというより、ただ単純に居心地のいい卵の上にいたかっただけかもしれない。自分の鳥かごでは、なかなかツボ巣から出ないため、よくルミに追い出されていた。
 マイがピポのツボ巣に入っているとき、ピポとチーは鳥かごから出て遊びに夢中になっている。だから気付いていないようにも見えるけど、気付いていても、気心の知れたマイならかまわないのかもしれない。いずれにしても急いで帰ってくる様子はない。
 今年になって、みんな次々と卵を産んでいる。昨年は大地震に見舞われて、1つも産まなかったせいだろうか、そういえば地面の揺れもだいぶ静かになってきた。 (つづく)

2015年8月8日土曜日

(十七)家の復旧

 家の傾きを直すには、いくつかの方法があるようだけど、どれも簡単ではないらしい。かなりのお金がいるというのに、あやさんちの場合は県と市から少し補助が受けられるだけ。頭の痛い日々が続く。
 そんななか、フーがまた消えた。フーは去年の夏の事件以来、片足がおかしいから、飛び方がぎこちない。そのため、あやさんはフーが飛ぶときには注意していて、直前まで飛んでいるところを見ていたのだけれど、いつの間にか消えてしまった。
 どこかに止まりそこなって落ちたのだろうと、鳥かごの乗っている机の周辺を探してみたりしても、見当たらない。夫も呼んでふたりで探し、鳥かごのそばの電話棚の下に、あやさんが潜ってみるものの、やはりフーの姿はない。
「変ね。落ちたとしたら、この辺だと思うけど」
「電話棚の下のものを全部出してみるしかないな」
 念のため、そこに置いてあるものを運び出して調べることになり、まず、6号額の入ったダンボール箱を夫が静かに引き出す。それをあやさんが受け取って部屋の反対側にあるサイドボードに立て掛ける。次に大きな花びんを夫から渡されて運ぼうとしていると、どこかで微かな鳴き声がしたような気がする。
「いま、鳴き声がしたみたい。みんな静かに。フーちゃん、フーちゃん、どこ?」
 あやさんがそういって耳を澄ますと、ほかの文鳥たちも静かにしている。すると、
「チチチ、チチチ」と、また小さな鳴き声。フーの声のようだけど、花びんの中からではない。どうも部屋の反対側のほうだ。
「もしや?」と、あやさんは、さっき持って行った額縁の入った箱をそっと開けてみる。
「いた、いたわ。フーちゃんたら、こんなところに」
 フーが額縁とダンボール箱の狭い隙間に挟まっている。
「フーちゃん、どうやって、こんなところに入ったの?」
 フーが見つかったのでホッとしたものの、あやさんは冷や汗が出た。額縁の箱の置き方ひとつ間違えれば、知らないうちにフーを潰してしまうところだった。
 フーを静かに取り出して抱き上げたものの、これでさらに羽を痛めたようで、それからますます飛べなくなってしまった。
 満身創痍になったフーだけど、めげる様子はなく、パピのお蔭で何とか元気にしている。パピは、フーが止まり木から下に落ちると、びっくりしたような声を出し、フーも頑張って上に飛び上ろうとする。けれども、うまく上がれないから、パピがあのいい声でさえずって応援する。あやさんは、その声を聞いて、
「また、フーちゃんが落ちたの?」とばかりに、鳥かごを見に行くわけだけど、そんなとき、たいていフーが下にいて、止まり木を見上げている。そういう具合だから、パピの鳴き声には自然に敏感になってしまい、パピが鳴き出すと、あやさんは、またかと思う。
 ところでルミは、4か月を過ぎてもぐぜらないから、メスのようだ。外見はチーにそっくりだけど、少し小ぶりで、フーを追いかけたりしない。それに鳴き声もピポに似て濁声だ。体が小さいので、このごろでは、ナナやココに追い払われている。ピポでさえナナやココがくると逃げる有様で、ナナ、ココ姉妹は体が大きいうえに、いつもつるんでいるから、歯向かってもとてもかなわない。
 これでルミはマイのお嫁さんになりそうだけど、ややこしいのは、ナナがマイに気を向けていることだ。
 マイのほうは、いまでもピポを追いかけているけど、ピポは、チーという夫がいるからその気はないようだ。マイをからかっては逃げていて、いかにもピポらしい。そんなときでもチーは、われ関せずで知らん顔をしている。
 ナナはマイに思いを寄せていて気の毒な気もするけど、マイは自分たちは兄妹だとわかっているのか、まったく結婚相手としては考えていないように見える。
 秋になると、夫がマイとルミを同じ鳥かごに入れた。最初のうちは鳥かごの止まり木をウロウロ動き回ってぎこちない素振りをしていたマイだが、だんだんルミと仲良くなった。マイはパピに似ていて優しいところがあるから、ルミは不満がなさそうだ。これでいつもナナとココに追い払われていた体の小さいルミに、マイという後ろ盾ができたので、ルミは安定したように見える。
 そして、文鳥たちがやっと元の落ち着きを取り戻したころ、また家の中が騒がしくなった。11月から、いよいよ家の復旧工事が始まる。
 あやさんちの基礎はベタ基礎というもので、その基礎の下に、グラウトというコンクリートのようなものを注入して傾きを直すらしい。
 そのため駐車場の一角がすごい音とともに壊されて、グラウト注入の装置が置かれた。作業員は毎日6人ほどきて、家の中にもふたり、しょっちゅう入ってくる。家のあちこちの柱や壁に、傾き具合を調べるためのメモリが貼られて、1日に3度ほど作業員がそこにレーザー光線を当てて、どれくらい家が上がったかを調べる。
 文鳥たちは、見知らぬ人が入ってきただけでもいやなのに、レーザー光線装置とともに長い3脚が家の中に持ち込まれると、それこそ恐がって大暴れした。作業服を着た体格のいい男性が鳥かごのそばにくるだけでもゴメンなのに、文鳥たちの大嫌いな長い棒まで持ってきて、あちこちと動かす。しかも変な赤い光線が出たりするのだから、暴れるのも無理はない。フーは驚いて羽ばたいては何度も止まり木から落ち、自分で上がろうとして顔をどこかにぶつけるらしく、片目を腫らしていた。
 そんな日が2週間ほど続いたが、グラウト注入の効果はすごいもので、家の傾きは徐々になくなって行き、そしてついに、床が平らになった。家の外回りを残して、一応、家が復旧し、ようやくこの大変な年も終わろうとしている。
 
 あやさんは、家の傾きが直ったら、気分がすっきりしたような気がする。まだ、グラウト注入のために壊した駐車場の一角と庭などはそのままだけど、家の中にいる限り、以前と変わらないようになった。
 この大震災で、あやさんたちは、家が傾いたり、汚泥に見舞われたり、水が出なくなったり、流せなくなったり、ほこりにまみれたり、放射能を心配したりと、ここまで休まる暇はなかったけれど、ようやく落ち着いて正月が迎えられそうだ。
 とにかく大変な年だった。それでも液状化ではだれも死ななかった。大津波では多数の命が奪われ、福島の原発周辺には人が住めなくなった。多くの人やペットが大切なものを失ったことを思えば、家の借金が増えたとはいえ、あやさんちの被害は、それほどのことではない。
 もし、ここに津波が襲ってきたりしたら、文鳥たちをどう助けられるのだろうかと、あやさんは考える。そして福島で飼われていた小鳥たちは、どうなっただろうかと、暗い想像をしてしまう。彼らの生活は飼い主に委ねられている。飼い主が被災したら、どうすることもできないのだ。あやさんはいま、これまで以上に飼い主の責任の重さを感じている。