2015年8月8日土曜日

(十七)家の復旧

 家の傾きを直すには、いくつかの方法があるようだけど、どれも簡単ではないらしい。かなりのお金がいるというのに、あやさんちの場合は県と市から少し補助が受けられるだけ。頭の痛い日々が続く。
 そんななか、フーがまた消えた。フーは去年の夏の事件以来、片足がおかしいから、飛び方がぎこちない。そのため、あやさんはフーが飛ぶときには注意していて、直前まで飛んでいるところを見ていたのだけれど、いつの間にか消えてしまった。
 どこかに止まりそこなって落ちたのだろうと、鳥かごの乗っている机の周辺を探してみたりしても、見当たらない。夫も呼んでふたりで探し、鳥かごのそばの電話棚の下に、あやさんが潜ってみるものの、やはりフーの姿はない。
「変ね。落ちたとしたら、この辺だと思うけど」
「電話棚の下のものを全部出してみるしかないな」
 念のため、そこに置いてあるものを運び出して調べることになり、まず、6号額の入ったダンボール箱を夫が静かに引き出す。それをあやさんが受け取って部屋の反対側にあるサイドボードに立て掛ける。次に大きな花びんを夫から渡されて運ぼうとしていると、どこかで微かな鳴き声がしたような気がする。
「いま、鳴き声がしたみたい。みんな静かに。フーちゃん、フーちゃん、どこ?」
 あやさんがそういって耳を澄ますと、ほかの文鳥たちも静かにしている。すると、
「チチチ、チチチ」と、また小さな鳴き声。フーの声のようだけど、花びんの中からではない。どうも部屋の反対側のほうだ。
「もしや?」と、あやさんは、さっき持って行った額縁の入った箱をそっと開けてみる。
「いた、いたわ。フーちゃんたら、こんなところに」
 フーが額縁とダンボール箱の狭い隙間に挟まっている。
「フーちゃん、どうやって、こんなところに入ったの?」
 フーが見つかったのでホッとしたものの、あやさんは冷や汗が出た。額縁の箱の置き方ひとつ間違えれば、知らないうちにフーを潰してしまうところだった。
 フーを静かに取り出して抱き上げたものの、これでさらに羽を痛めたようで、それからますます飛べなくなってしまった。
 満身創痍になったフーだけど、めげる様子はなく、パピのお蔭で何とか元気にしている。パピは、フーが止まり木から下に落ちると、びっくりしたような声を出し、フーも頑張って上に飛び上ろうとする。けれども、うまく上がれないから、パピがあのいい声でさえずって応援する。あやさんは、その声を聞いて、
「また、フーちゃんが落ちたの?」とばかりに、鳥かごを見に行くわけだけど、そんなとき、たいていフーが下にいて、止まり木を見上げている。そういう具合だから、パピの鳴き声には自然に敏感になってしまい、パピが鳴き出すと、あやさんは、またかと思う。
 ところでルミは、4か月を過ぎてもぐぜらないから、メスのようだ。外見はチーにそっくりだけど、少し小ぶりで、フーを追いかけたりしない。それに鳴き声もピポに似て濁声だ。体が小さいので、このごろでは、ナナやココに追い払われている。ピポでさえナナやココがくると逃げる有様で、ナナ、ココ姉妹は体が大きいうえに、いつもつるんでいるから、歯向かってもとてもかなわない。
 これでルミはマイのお嫁さんになりそうだけど、ややこしいのは、ナナがマイに気を向けていることだ。
 マイのほうは、いまでもピポを追いかけているけど、ピポは、チーという夫がいるからその気はないようだ。マイをからかっては逃げていて、いかにもピポらしい。そんなときでもチーは、われ関せずで知らん顔をしている。
 ナナはマイに思いを寄せていて気の毒な気もするけど、マイは自分たちは兄妹だとわかっているのか、まったく結婚相手としては考えていないように見える。
 秋になると、夫がマイとルミを同じ鳥かごに入れた。最初のうちは鳥かごの止まり木をウロウロ動き回ってぎこちない素振りをしていたマイだが、だんだんルミと仲良くなった。マイはパピに似ていて優しいところがあるから、ルミは不満がなさそうだ。これでいつもナナとココに追い払われていた体の小さいルミに、マイという後ろ盾ができたので、ルミは安定したように見える。
 そして、文鳥たちがやっと元の落ち着きを取り戻したころ、また家の中が騒がしくなった。11月から、いよいよ家の復旧工事が始まる。
 あやさんちの基礎はベタ基礎というもので、その基礎の下に、グラウトというコンクリートのようなものを注入して傾きを直すらしい。
 そのため駐車場の一角がすごい音とともに壊されて、グラウト注入の装置が置かれた。作業員は毎日6人ほどきて、家の中にもふたり、しょっちゅう入ってくる。家のあちこちの柱や壁に、傾き具合を調べるためのメモリが貼られて、1日に3度ほど作業員がそこにレーザー光線を当てて、どれくらい家が上がったかを調べる。
 文鳥たちは、見知らぬ人が入ってきただけでもいやなのに、レーザー光線装置とともに長い3脚が家の中に持ち込まれると、それこそ恐がって大暴れした。作業服を着た体格のいい男性が鳥かごのそばにくるだけでもゴメンなのに、文鳥たちの大嫌いな長い棒まで持ってきて、あちこちと動かす。しかも変な赤い光線が出たりするのだから、暴れるのも無理はない。フーは驚いて羽ばたいては何度も止まり木から落ち、自分で上がろうとして顔をどこかにぶつけるらしく、片目を腫らしていた。
 そんな日が2週間ほど続いたが、グラウト注入の効果はすごいもので、家の傾きは徐々になくなって行き、そしてついに、床が平らになった。家の外回りを残して、一応、家が復旧し、ようやくこの大変な年も終わろうとしている。
 
 あやさんは、家の傾きが直ったら、気分がすっきりしたような気がする。まだ、グラウト注入のために壊した駐車場の一角と庭などはそのままだけど、家の中にいる限り、以前と変わらないようになった。
 この大震災で、あやさんたちは、家が傾いたり、汚泥に見舞われたり、水が出なくなったり、流せなくなったり、ほこりにまみれたり、放射能を心配したりと、ここまで休まる暇はなかったけれど、ようやく落ち着いて正月が迎えられそうだ。
 とにかく大変な年だった。それでも液状化ではだれも死ななかった。大津波では多数の命が奪われ、福島の原発周辺には人が住めなくなった。多くの人やペットが大切なものを失ったことを思えば、家の借金が増えたとはいえ、あやさんちの被害は、それほどのことではない。
 もし、ここに津波が襲ってきたりしたら、文鳥たちをどう助けられるのだろうかと、あやさんは考える。そして福島で飼われていた小鳥たちは、どうなっただろうかと、暗い想像をしてしまう。彼らの生活は飼い主に委ねられている。飼い主が被災したら、どうすることもできないのだ。あやさんはいま、これまで以上に飼い主の責任の重さを感じている。

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