2015年8月28日金曜日

(十九)メグは待望の男の子

 文鳥たちは、かなり自尊心が強い。自分の名前が呼ばれると、うれしそうだけど、期待に反して呼ばれたのが別の名前だったりすると、黙って飛んで行ってしまう。そこであやさんは、頭にだれが止まったかわからないとき、ちょっといい方を工夫している。
「だあれかな? ママの頭にフンしないでね」なんて調子で、やたらに名前をいわない。そのうちに頭から下りてくればわかるから、そのとき初めて、
「ナナちゃんなの。いい子ね」などと名前をいう。すると、ナナはうれしそうに鳴いて、飛んで行ってしまうけど、ナナに限らず、ほかの文鳥も同じように鳴いて飛んで行く。うれしさに加えて恥かしさもあるようだ。ピポやマイは、お愛想によく肩に飛んでくる。
 そういえば、夫が面白いことをいっていた。ナナたちを鳥かごに戻すとき、えさを乗せた手に止まらせているけれど、そんなとき、
「ナナ、ナナって呼び捨てじゃあ、こないんだ。ちゃんとナナちゃんていわないと」
 つまり敬称がわかるというのだけど、声の調子でわかるだけかもしれない。
 あるとき、あやさんがソファーに座ってフーを手に乗せ、えさを食べさせていると、パピもやってきて、フーに並んで止まった。それでもパピは、えさを食べるわけでもない。そのうちに、あやさんの手の上で向きを変えると、人差し指の爪をそっと噛んだ。
 親愛の情を示したのだ。パピがこんなふうに甘えるのは初めてで、長い時間がかかったものの、もうすっかり、みんなと同じようになった。
 あやさんは、いい気分でそのまま歌を口ずさむ。みんな歌が好きだから、フーとパピは手に乗ったまま聴いている。そこへピポが飛んできて、フーに近い腕に止まった。すると、パピがピポを追い払おうとする。けれども間にフーがいるからピポに近寄れない。諦めてフーとおとなしく手に乗っていた。
 まもなくして、いつもは巻き上げカーテンに潜りっぱなしのチーが珍しく出てきて、胸に止まった。マイもいつのまにか肩にきている。
 みんなで静かに子守唄でも聴くように、耳を澄ましているけれど、あやさんの歌はデタラメソング。歌詞の中にだれかの名前が出てきたりする。それにしてもチーが胸にくるのは久しぶりなので、歌はこんなふうになった。
「♪あの子はだあれ、だれでしょね。なんなんなつめの花の下、お人形さんと遊んでる、かわいい、チーちゃんじゃないでしょか♪」
 すると、歌い終わったとたん、あやさんは耳の下辺りを突っつかれた。マイが「グルウウー」と、不満そうな唸り声を出す。肩に止まって期待して待っていたのに、出てきた名前は「チーちゃん」だった。自分の名前ではなかったから、抗議している。
「マイちゃん、痛いよ」
 そういったものの、手にはフーたちが乗っているから、マイを払いのけられない。マイはまた、
「グルウウー」といって、そのまま肩から動かない。
 あやさんは苦笑し、仕方なく歌い直した。もちろん最後は、
「♪かわいいマイちゃんじゃないでしょか♪」としたわけで、マイはそれを聞くと満足したのか、そのまま静かに肩にいる。 いつもマイのそばにいるはずのルミは、鳥かごで卵を温めていて、ほかの女の子たちも、まだ鳥かごにいる。
 フーの具合が悪くなってからは、フーとパピの水浴びが終わってから、ほかの文鳥たちを放鳥している。みんながいっせいに蛇口にきては困るからで、それが夫が鳥かごを掃除する順番にもなっている。
 放鳥は最初にフーとパピ、それからピポとチー、マイとルミ、そのあと少ししてから、ナナとココ、トビとユウ、という順だ。
 ところが最近では、最初に放鳥するのは別の文鳥になった。幼い白文鳥の「メグ」だ。トビとユウが生まれてから約1年後の今年、またピポとチーの子どもが生まれた。
 1月18日生まれのメグは、飛べるようになると、親のいる鳥かごの上に飛んで行く。ところが父親のチーは、あっちへ行けとばかりに「ぐるるる―、ぐるるる―」と唸って追い払う。チーは卵をかえすときや生まれたヒナにえさをやっているときは、感心な父親なのに、いったん自分から離れてしまうと、いっさい子どもの面倒をみない。関心がないというより、むしろ、そばにこられるのがいやという感じだから不思議だ。
 メグは1羽で育ったせいか、あやさんたち夫婦によくなついている。チーに邪魔者扱いされると、メグはすぐに夫やあやさんのところに飛んでくる。だから鳥かごに戻すのが簡単なので、いまは鳥かごから最初に出ている。その点、ユウとトビはなかなか鳥かごに戻らないから、出してもらうのは最後だ。
 メグは3か月を過ぎると、盛んにさえずりの練習をしている。待望のオスだとわかったので、4羽いる独身のメスたちのだれかと将来、結婚するだろう。みんな年上だけど、年の近いのは、トビとユウ。でも2羽はメグのお姉さんに当たるから、どんなものか。ナナとココはだいぶ年上になるけど面倒見のよいナナなら、いい姉さん女房になりそうだ。
 半年を過ぎたころから、メグは父親のチーにいろいろ似てきた。さえずりは「ぐるるるー」まじりのそっくりなものになっているし、父親のようにカーテンから夫に引きずり出されたいようで、潜って待っていたりする。いまのところ、「ウギャア」といわないだけましだけど、これも遺伝なのか、3羽の桜文鳥よりも白文鳥のトビに気があるらしい。この先、どうなるかわからないけれど、あやさんちでは、どうも白文鳥がもてるようだ。
 そういえば、ピッピ、ピー、フー、ピポ、マイ、ミミ、トビ、メグと白文鳥は8羽だったのに対し、シナモン文鳥は、パピ、チー、ルミの3羽で、桜文鳥はナナ、ココ、ユウのこれも3羽。圧倒的に白文鳥の数が多い。
 文鳥たちは臆病なので、ちょっと変わったことが起きると、大騒ぎする。あやさんちでは、たまに鳥かごを洗って順番に交換しているけど、そんなとき、自分の鳥かごが移動すろと、大変だ。どうなるかと心配するのはわかるけど、関係ないはずのほかの文鳥たちまで暴れるから騒ぎがかなり盛り上がる。そんなとき、
「洗って、きれいにするからね。大丈夫よ」と声をかけたりするけれど、彼らはこわごわながら興味深々。少しの物音や動きにも敏感に反応して大暴れ。恐がっているというよりも、遊びになって盛り上がっているのかもしれないけど、彼らが変化を好まないことは、確かなようだ。
 そういえば、鳥かごの下に敷く新聞紙も、何でもいいというわけにはいかない。彼らの好みは株式欄やテレビ欄。もちろん株の研究をしているわけではないけれど、カラフルなページや黒っぽいページは落ち着かないらしい。とはいえ、新聞紙は毎日取り換えるので、鳥かごが6つともなると下敷き作りにも苦労する。
 ところで彼らはテレビ欄は読めないけれど、テレビの放送は少しわかるらしい。夜の7時少し前にはテレビの音に耳を澄まして、気象情報のイントロの音楽が流れるのを待っている。別のチャンネルのままだとわかるのか、何となく落ち着かない。あやさんがチャンネルを替えて、テレビからお目当ての音楽が流れると、それまで静かだった彼らが、待ってましたとばかりにさえずる。
「ポピポピポピ」とか「チュンチュンチュンチュン」なんて具合で、これは、「もう寝る時間だから布をかけて電気を消せ」という要求でもあるようだ。ちなみに夕方になって部屋の中が薄暗くなると、同じように鳴いて、電気を点けろと要求する。
 気象情報をバックに、夫がそれぞれの鳥かごに向かって、
「チーちゃん、おやすみ。また明日、遊ぼうね」とか、
「きょうは、いい子だったね、おやすみ」なんていいながら順番に布をかけて行き、彼らの1日が終わるわけだけど、みんな安心したようにブランコに乗ったり、ツボ巣に入ったりして、眠りにつく。
 文鳥たちは生活の中で、いろいろ学習して、年々、賢くなっていく。そんな彼らの学習を支えているのは、人との深い「信頼」ではないかと、あやさんは思う。
 文鳥といると、予想外のことが起きて面倒なときもあるけど、彼らを見ていると、人間社会の縮図のように見えてくるから実に面白い。

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