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2020年11月21日土曜日

24)フユのその後

 シナモン文鳥のフユちゃんがこの家にきて3週間になる。元気で人懐こい感じはピポを思わせる。鳥かごの位置もちょうど同じだ。ピポと、いまもこの家にいるシナモン文鳥のチーが一緒にそこにいた。もうすぐ11歳3か月になるチーは、このまま新しい年を迎えられるかもしれない。

 ところでフユはスーとすっかり仲良くなり卵を産んだ。1週間前頃から産み出して、いま6つの卵を温めている。卵といえば隣の鳥かごのピヨもまた卵を温めているけど、まだ孵ったようすはない。

 ピヨとフユはけっこう仲良しで、鳥かごから出たとき一緒にえさを食べていたりする。オス同士はなかなかそうわいかないが、こんな光景を見ると、昔、フーとピポが仲良く遊んでいたことを思い出す。もうあれから11年になる。ピポがいなくなったのは2015年の11月14日だった。生きていれば11歳4か月ということになるけど、もう天国に行っているだろう。

 


2020年10月11日日曜日

(21)長生きの秘訣?

 


 11歳を過ぎたシナモン文鳥のチーちゃんは、相変わらず元気に過ごしている。といっても、ほとんど眠っているけれど・・・。

 文鳥の寿命はふつう7~8年ときくから、チーはかなり長生きということになる。この家で9歳以上生きたのはパぴ、マイ、るみだけど、10歳を超えたものはチーと昔飼っていたピーちゃん(12年生きた)の2羽しかいない。そしてチーは、11歳を過ぎている。

文鳥は繊細な鳥だから、精神的に安定していることが長生きするには大事なことだろう。けれども時にはとこかにぶつかるなどで怪我をすることも多いから、そればかりでも難しい。やはりそれぞれが持っている運命というものがあるのかもしれない。

 それでもチーを見ていると、これが長生きの秘訣かなと思えることがある。一つには、あまり周りにきをつかわずにマイペースで過ごすこと。それからチーは大食漢ではなかった。どちらかといえば小食で細身で過ごしてきた。さらには、あまり冒険をしない。巻き上げカーテンの昼寝場の場所取りも妻のピポに任せていて、自分はピポに取ってもらった場所にあとから行って、そこにもぐって悠々と昼寝をしていた。まあ、それはピポがいなくなってからは、できなくなってしまったのだけど、それまではピポのお陰で、けっこういい思いをしていた。そして今は文鳥たちの中で一番大事にされている。何しろ1日3回は抱き上げられて食べさせてもらい、手の中で眠り、ときには水浴びまでさせてもらっているのだから、決して悪い暮らしではないはずだ。もしかしたら、もうすでに極楽にいるつもりかもしれない。眠っている間には、別れた妻のピポに会っている可能性だってありそうだ。毎日が極楽、極楽。

2020年9月24日木曜日

(20)文鳥の爪

 


 文鳥たちの爪は細くて尖っているので、時々短くしてやらないと危険だ。ツボ巣をからげている糸などに引っかかって逆さ吊りになり大怪我をしてしまうこともある。

 そこで夫がたまに文鳥を捕まえて、それぞれの爪を切ってやることになるのだが、文鳥たちはそれを喜ばない。ギュッと抑えられて動けずにいる間に爪切りが終わり、やっとの思いで逃げ出すと、すぐには夫のそばには寄り付かない。そしてしばらくはそれを憶えていて、夫が捕まえようとしても逃げてしまう。

 爪切りは結構難しく、あまりちゃんと切ろうとすると、つい深くまで切ってしまい出血したりする。そんなときは、慌てて火をつけた線香を仏壇から持ってきて、出血箇所を焼くことになるが、それは当の文鳥はもちろん、あやさんにとっても辛い瞬間になる。けれども文鳥は声を出さない。あまりの痛さにびっくりしているのかどうかわからないけれど、そういう目には誰だって合いたくない。

 だから、夫が文鳥たちの爪を切るときは、あやさんも文鳥以上に緊張する。そして、

「ちょっと切ればいいのよ。切りすぎないで」などと、騒いてしまうのだ。

 それでも中には、そんな面倒をかけない文鳥もいる。これまで一

度も爪を切ってやったことのない文鳥がピポだった。ピポは、現在11歳1か月になるチーの妻で6歳のときにいなくなってしまった白文鳥だが、全く世話の焼けない子だった。ピポは自軍で爪を短くしていた。嘴で噛んで短く削っていたのである。だから、ピポが手に止まるとギザギザした爪が手に当たって痛い感じがした。そして、ピポの子孫のクリもスーも自分で爪を短くしている。そういえばクリの妻のピヨも見様見真似でで覚えたのか、やはり爪がギザギザしている。この方がお互いにストレスがなくていいと思うけれど、マイのように爪が内側に曲がってしまっている場合は、自分で短くするのは難しい。

けれども、そうでないのになぜか夫に爪を切ってもらっているままの文鳥もいるから面白い。

2019年6月11日火曜日

(11)障碍者をターゲットにする駐車監視員



警察署長の委託を受けて、駐車違反を取り締まるのが駐車監視員だそうだ。主な仕事は違反車輌に貼り紙をして駐車違反と決めつけポイントを稼ぐことなのだろうか。彼らの中には障碍者いじめともとれるとんでもないヤツがいる。

 5月の大型連休前のことだった。いつものように駐車許可カード(歩行困難者使用中標章)を運転席側のダッシュボードの上に出して5~15分ほど車から離れた。そして用事をすませて車に戻り次の目的地に向かった。その途中、助手席側のフロントガラスに何か小さな紙片がくっついているのに気が付いた。

「何かしら」と思って次に止めた駐車場でそれをはがして運転者に見せると、それは駐車違反の反則切符だった。身に覚えのない私たちは、なるべく早く警察署に行って事情を話したほうがいいだろうと、次の用事をキャンセルして浦安警察署に行った。長い時間待たされて担当が2名出てきたがラチがあかない。違反の理由は駐車許可カードが提示してなかったというのである。しかし、それはない。助手席の者がグローブボックスから出して運転者に渡してダッシュボードの上に提示したのはあきらかだった。

 それなのにおかしい。警察署の担当者はその後に許可カードの映っていない写真を運転者に見せて、許可カードがなかったことを示そうとしたが、その写真はいかにも許可カードが映らないようにして取ったものだった。結局こちらの主張は受け入れられず苦情センターに電話しても先ほどの浦安警察んの担当から相変わらずラチのあかない電話がきただけだった。

 そして連休が明けた5月のはじめ、また同じ場所に停車した5分ほどの間に同じような反則切符が貼られていた。こんどはダッシュボードの中央に目立つように駐車許可カードをおいていたのに何事かと思い、またすぐに浦安警察署に向かった。苦情係で話をすると、前回とは別の人間が出てきて、今回の違反は交差点からの距離に問題があるのだといった。こちらは問題ないと思って停めたのだが、ほんの2分ほどの間に狙い撃ちされたように距離を測られたのだから、こちらの正当性を主張する手段がない。こうなったら防犯カメラでも用意しなければこの悪意に満ちた行為に反撃は不可能に思われた。

 しかし、最初の駐車違反には天の味方がついていた。それは

ドライブレコーダーだ。そのときのものを調べたらダッシュボードはもちろん映ってはいなかったものの、フロントガラスにはその映像が反射し

まぎれもなく駐車許可カードの一部が映っていたのである。

 このことをもって、送られてきた違反料金の支払いに対して異議を申し立てることにしたが、こんなことが行われているのか、と駐車監視員制度に大いに疑問を持った。

 このような目にあった駐車許可カードを持つ障碍者や療養者を乗せた運転者も少なくないのではないかと思える。弱者を罠にかけ、自分の点数や金を稼ごうとする駐車監視員は許せないし、反則切符を切る権限を与えている千葉県警は何を狙っているのだろうか。

こちらに確たる証拠がない限り、何を主張しても受け入れない駐車違反の取り締まりはただ点数稼ぎと金稼ぎとしか思えないが、このような障碍者を罠にかけてまで15000円+18000円の計33000円もの大金を手に入れようとする取締りの在り方は問題である。

 これは同じふたりの駐車監視員の仕業だが、悪質な監視員の被害にあった人はおそらくほかにもいるはずだ。こういうことではせっかく障碍者の外出を手助けするはずのものがその役目を担えないばかりか、かえって車に乗せてもらっての外出をためらうことになる。なんのための駐車許可システムなのか?

警察署は異議を申し立ててもがんとして受け付けようとしないが、このままこのような監視員制度を続けていくとしたら、市民の支持を失うだろう。多くの場合、証拠がないから一方的にやられるままだ。お金さえ払えば終わりだからと仕方なく諦める人も少なくないだろう こんなことが簡単に起きてしまう駐車監視員制度は疑問である。

2018年11月21日水曜日

(10)形はスマートなんだけど


 
  パソコンはその後、新しいものになった。息子に買ってもらったウインドウズ10をいま使っている。おかげで悪夢のようなアップデートの際のフリーズや画面の変化などに悩まされることはなくなったが、使い慣れるには時間がかかった。そしてようやく普通に使えるようになったころ、また別の新しいものに苦労している。

 ケイタイ電話を変えたのだ。本当はこのままガラケイのケイタイを使っていたかったのだが、この11月と12月に解約すれば「しばり」とかいうものから抜けられるとかで、この際電話会社を映って料金を安くするのだという話になった。何でもガラケイは、2年後にはなくなるから、その後はみんなスマホになるんだという。そんなこと、だれが決めたの? と、大いに不満だけれど、私が文句をいったからとて、どうなるものでもない。このさい、前向きに考えてスマホにした。。すると、やはり、大変なことになった。

新しいケイタイ電話となったスマホはアイホンだが薄くて格好がいい。これまでのガラケイと比べると見た目からして別次元。新しいものを手に入れたうれしさはあった。

 しかし、突起したボタンがないというのは、目の悪い者にとってなんと不便なことか。これは設定次第で視覚障碍者でも使えることになっているようだが、間違って触れると、かってに電話がかかってしまったりする。相手から返信があり、そのことがわかるのだけど、これまでのガラケイなら決まった場所にある赤いボタンを押さない限りそんなことは起きなかった。画面に出てくるキーボードも小さくて正確に文字をとらえてうつことも難しい。もうこれは、視覚障碍者はもちろん、老人の震える指先ではどうにもならない。宝の持ち腐れだ。

 そう思っていじってみていたら、このスマートさがとても冷たいものに感じられてきた。

「こんなのちっとも格好よくない。だって不便」

いやな気分になってきた。これはすべすべのプラスチック製品を初めて見たときにきれいだと思い、その後に好きでなくなったときの気持ちに似ている。

 やはり凸凹のない冷たいものには、いくらそれがスマートでも感心しない。愛情がわかないのだ。パソコンのキーボードだって「f」と「j」にちゃんとポッチがあり、電話機やリモコンの「5」にもポッチがついていて、その上が「2」で下が「8」だと見えなくてもわかるようになっている。これが生活の知恵である。

つまり、いまのスマホは不親切で、視覚障碍者には突起が必要で、この機能美を追求した物体は視覚障碍者には適さないと思った。、あまり年寄りには好まれないだろう。

 もっと温かみのある凸凹の使いやすいスマホになれば、それがやがて普及することだろう。このままではまったくの仕事の機器にしか思えない。こんなものに1日中とらわれていたら、あまり意味のない時間ばかりが費やされ人間はおかしくなってしまいかねない。そう思わせる冷たさがそこにあり、私の場合、ただの電話を受け取るだけのシロモノとなってしまいそうだ。

 それでもときどき触っていると、何かしゃべるから、その点は少しかわいらしい。

2018年2月18日日曜日

(9)困ったパソコン

 最近はパソコンよりモバイルが主流だそうだ。そのせいかパソコンに頼っている私には不便なこともある。このブログもそのひとつで、モバイルのほうが便利になったようだ。便利になるというのは、一方では不便になるということで、まるで新幹線が停まらない古くからの駅のような気がしてきた。そろそろこれも店じまいか。

それはともあれ、いま一番憂鬱なのが、毎回パソコンを立ち上げると送られてくるウィンドウズの「新しいセキュリティ・プログラムというものだ。
 ところがそれを入れるには、新しいデバイスが必要」だとして、ウインドウ10のアップグレードがされ出す。仕方なく画面のハイドボタンをクリックして仕事を続けるわけだけど、これが毎回、繰り返される。
 それは、私のパソコンに新しいデバイスが入らないからで、新しいデバイスを入れるには1つのアプリを外さなければならないらしい。しかし、前回、ウインドウ7から10にアップグレードしたときには、そんなことはなかった。
 いったん外して入れ直せばいいと思うかもしれないが、外して入れ直しても元通り使える保証はないようだ。
 そこで、そのアプリを外せないでいるから、毎回、パソコンを立ち上げるとプログラムが送られてきて、パソコンが重い。ときにはフリーズして再起動してしまう。新しいアプリを入手するにはお金がかかる。これまで使えていたものが相手の都合で急に使えなくなるなんていうのは不合理だ。
 というわけで、そのままにしているけど、これでは私のパソコンが壊れてしまうのではないかと心配になる。どうしたものかと、パソコンを開くたびに気が重い。

ちなみにそのアプリとは“PCトーカー7”というもので、目の悪い私に代わって文字を読み上げてくれるものだ。それはウインドウズのナレーターとは比べ物にならないくらいいい出来である。これが亡くなってしまっては大変。
 私のパソコンが、だれかに乗っ取られたようで、面白くない日が続いている。

2017年4月22日土曜日

(8)テロ等準備罪「共謀罪」の法案

「これでは、日本がますます変な国になってしまう」
 これがこの法案の国会審議などを見て思ったことだ。そもそも担当大臣にすらよくわかっていない法が国会で承認されるようなことがあって良いのかということ。この状態をみただけで、国民に内容を知らせるつもりはないように見える。おそらくあまり知られたくないのだろう。
 わたしは法律に詳しくはないが、しかし、何も犯罪を犯さないうちに罪人をつくって罰することなどあっていいのだろうか。この考え方で行けば、権力を持ったものがその気になれば、自分たちと考えの違う者を簡単に取り締まれるということになるのではないか?
 もし、わたしたちの文芸サークルに過激な文章を書く人が入ってきて、一緒に活動していたら、どうなるのだろうか?
 そんな心配が沸いてきて、やたらグループには属さないほうが安全だということにもなってくる。社会がこんな風潮におおわれたら、人々は委縮し、ますますやる気をなくすだろう。そうなったら活力のある社会など、とても望めない。行きつく先は猜疑心に満ちた社会だと容易に想像できる。人としての自由がない社会ほど生きる価値が見い出せない社会はない。
 科学者や専門家の意見を軽視している政治屋のおじさんに、何がわかっているのかと、はなはだ疑問で、この法案の恐ろしさを多くの人に知ってほしいと思った。
 古くは「三鷹事件」もそうであったが、最近でもボランティア活動をしていたほとんど政治的に問題のない労組員が、たまたま労組の役員だったという理由で、子どもを保育園に送って行ったその場所で逮捕された事件をしっている。こうなると彼が罪を認めない限り家には帰してもらえなかった。どちらもおかしな内部告発者によってデッチアゲラレタ事件である。
 たった1人の組合員の密告で、罪のない数人の労組員が逮捕された事件だったが、このような事件はこれまででさえ数えきれないほど起きている。この法案が施行されれば冤罪の恩パレード、もしくは死んだような社会が生まれるだろう。だからこそ、これまでに何度も廃案になってきた。今度も廃案にしなければならない。

2016年9月30日金曜日

(8)水道のパッキング

(5)の家電の寿命で、水道の蛇口を交換した話を書いたが、こんどは風呂場の水とお湯の混合栓が水漏れ状態になった。住んで十年も経つといろんなところが傷んでくるらしい。これは水道の蛇口に比べて単純ではないような気がして、ハウスメーカーに電話して、業者にきてもらった。そして、きょう直してもらえたのだけど、その折に、これまで思い違いをしていたことがあるとわかった。
 前回は、台所の水道の水漏れでパッキングを交換してもらうつもりだったのに、蛇口ごとそっくり交換され、いまはそんなふうになっているものとばかり思っていた。それが今回、パッキングだけを交換してくれた業者と話していて、前回の業者には騙されたような気がしてきた。
 今回の業者は電話の段階からパッキングを交換するといったので、安心して直してもらい、修理代を払いながら、
「水道の蛇口みたいに、そっくり換えなくてもいいのね。よかったわ」といったら、業者が不思議そうな顔をした。
「いまどき、水道の蛇口はパッキングを交換するんじゃなくて全部、取り換えるでしょ?」と、続けると、
「いいえ」とこれまた腑に落ちないようす。いろいろ聞いているうちにわかったことがある。
   いまでも、パッキングだけを取り換えることができるということ。
   水漏れにすぐに対応してくれる業者の中には、多種のパッキングの用意はできないから、そっくり取り換えてしまう。
   そのほうが簡単だし利益も大きい。
 どうもそんなことになっているらしい。やはり、いまでもパッキングだけ取り換えればいいのだとわかって、前回、蛇口を2つも取り換えて大金を払ったのが悔やまれる。小鳥にうつつを抜かしている老人だと思ってバカにしたのなら許せない。ジジやババは怒ると怖いんだぞ!

2016年7月27日水曜日

(7)人の価値

 きのう相模原の障害者施設で障害者19人が刺殺され、26人が負傷するという前代未聞の悲惨な事件が起きた。犯人は重複障害者は何の役にも立たない社会の邪魔者と考えて犯行に及んだようで、ビューティフル日本と叫んだらしい。社会の弱者を始末するという思想は、まさにナチズムだと思った。
 人はそれぞれが他人には測れない価値をもっていることを知るべきだ。かなり、前の話になるが、伯母の葬儀での従弟の言葉を思い出す。伯母は認知症になりかなり長い間患って入退院を繰り返していた。従弟をはじめ家族は伯母が亡くなった寂しさもさることながら、さぞやほっとしたことだろうとわたしは思っていた。しかし、従弟があいさつの中でいった言葉は、ハッとするものだった。
「母は長く患いましたが、その間にわたしたちに多くのことを教えてくれました」
 賢い人はどんな状況からもいろいろ学ぶのだ。自分の狭い価値観で人を裁いたりはしない。
 人は生産的なことができなくても、そこに存在するだけで価値がある。その意味も考えずに独りよがりの若者の犯した罪は社会の汚点でしかない。

2016年7月22日金曜日

(6)わがままと体験

  いま家にいる12話の文鳥のうち10羽はこの家で生まれ育った。白文長のフーとピポの夫として迎えたシナモン文鳥のパピとチーがこの10羽の文鳥たちの父親だけれど、パピとチーが来てからそろそろ6年半になる。
 年齢はパピが7歳半でチーが8月で7歳になるから、もうどちらも老齢の身で、そのせいかあまりほかのオスと争ったりしない。
 彼らの子孫はパピの子どもがココとマイ、チーの子どもがルミ、トビ、ユウ、メグで孫がクリ、ひ孫がラン、スー、ミーである。パピよりチーの子孫のほうが多いけれど、これはマイとルミの間に子どもが生まれなかったからだろう。
 こうしてみると、チーの変わった性格を受け継ぐものが多そうに思えるものの、実際にはそうでもないようだ。
 親から受け継いだ持ち前の性格というのもそれぞれにあるようだけど、育つ環境の影響もかなり大きいように思う。
 1歳のときにもらわれてきたパピは、いまでもほかの子たちと少し違い、勝手気ままに暴れ回ったりはしない。簡単にいってしまえばパピは苦労人で、〝わがままじゃない〟ということになるだろうか。
 パピが1歳までどんな暮らしをしてきたかはわからないけど、この家にきたとき全く飛べなかったことを考えれば、狭い場所に閉じ込められていたことが容易に想像できる。人を怖がっているようでもあった。きたとき、フーとピポがいたからよかったものの、どうなることかとこちらも不安だった。
 この家で生まれ育った若い文鳥たちは勝手気ままに暴れているが、パピがわたしたちを困らせたのは最初のうちだけだ。
 それは人の手が怖かったのだから、鳥かごに戻すのは大変だった。けれども、慣れてきたら、頃合いを見て、自分で鳥かごに戻るようになった。
 パピにとって幼いときの経験がよかったのかどうかはわからない。けれども鳥も人も不自由さや苦しさを経験しないと、普通に暮らせるありがたさはなかなかわからないのかもしれない。
「可愛い子には旅をさせよ」というように、子どものときに苦しさや辛さを経験したものにとっては、普通に暮らせることが、どれほど楽しくありがたいことかが、身に染みてわかるのだろう。
 もうかなり昔になるけれど、息子が中学生のころ、「これはまずい」「また、このおかずか」などと食事のときによく文句をいっていた。
「それなら自分でつくれ」といいたいところを我慢していたが、1か月ほどアメリカ中西部のある農家にホームステイしてきてからは、何でもおいしそうに食べるようになった。これまで嫌いだった〝おすまし〟もアメリカでは飲みたくなったといった。アイスクリームにはチョコレートをかけて、さらに甘くして食べるらしい。お腹の調子が悪くなったらコーラを勧められたといって、日本での食事がいかに自分に合っていたかを思い知らされたようだった。お蔭で、その後はいっさい食事の内容に文句をいうことがなくなったから、経験というのは大したものだと思った。
 とはいえ、できれば辛い体験はしたくない。だからなるべく小さな辛い体験から想像力を働かしてみることが大切なように思う。そのためには子どものころからいろんな人に出会って話を聞き、想像力を使って視野を広げることが必要かもしれない。
 世の中には自分と違う生活があることを早くから知っているほうがいいのではないかと、パピを見て思うのだ。
 余談だけれど、息子がアメリカから帰ったときにいっていた。
「アメリカで日本語を話して、日本食を食べて暮らせたらなあ」と。そして、「石ころ1個あれば、すぐにみんなで遊びを作るんだ。それに家の人は、子どもたちに何をしろとかいわないんだ。だけど、何もしないでいられないから、ぼくも農家の仕事を手伝ったら、ほめられた。牛乳がおいしかったなあ。途中でお腹がいたくならなければもっと楽しかったのに」と続けた。けれども親の期待に反して、最後まで「もっと英会話を勉強しなくちゃ」とはいわなかった。

2016年6月29日水曜日

(5)家電の寿命

 この家に越してきてもうすぐ10年になる。そのせいか近頃いろんなものが故障する。もっともエアコンなどは1年目から調子が悪くなり、何回も修理してもらったから、この場合は10年どころか最初からだ。考えてみれば、引っ越してきて新しくなったものでこれまでに故障したのは台所のコンロ、電気釜、トースター、テレビ、それに居間の天井の照明、プリンターなど数え上げれば切りがない。前の住居から持ってきた洗濯機も壊れたが、冷蔵庫と電子レンジは15年以上健在だ。ちなみに冷蔵庫は三菱の製品で電子レンジは日立のもの。
 故障したコンロはIHで、魚焼き器の部分を取り換えて直った。電球はカバーの接着面がはがれて下半分が落下。2個も落ちたので、文鳥に当たらなくてよかったと思った。これはメーカーに連絡して取り換えてもらったが、接着剤の劣化によるものらしい。そういえば電動歯ブラシはこの家にきてからもう4台目か5台目だ。よく使うから仕方がないのだろうが、この前はじめて直してもらった。
 トイレの洗浄便座も水漏れが始まり、自分でもいじってみたけど、本体の故障のようなのでメーカーに修理を頼んだ。部品の1つを交換してもらい、水漏れは治まったものの、そろそろ部品がなくなって修理ができなくなるところだったらしい。本体ごと新しくする方法もあるといわれ、
「いくらくらいするの?」ときく。10万円は下らないという話で、10年ごとにそんな大金を出していたら大変だと思った。この年になると、10年なんて、あっという間。考えるといやになる。だいたい、しょっちゅう丸ごと替えていたら、ゴミの量だってすごいはず。何かおかしい。修理代は2万円くらいだというので、もちろん直してもらった。
 前の洗濯機もそうだったけど、洗濯槽を止めているネジが1つゆるんでしまっただけなのに、経年劣化ということでゴミになった。解体業者もさぞや大変だろうと想像してしまうが、こんなことでいいのだろうかと地球の未来が心配になる。
 つい最近、故障した給湯器はときどき警報音を鳴らすようになり、そのうちにお湯を沸かさなくなった。新しいのに取り換えるとなると、かなりお金がかかるだろうとひやひやしていたら、基盤を替えて3万円ほどで元通りになった。基盤だけですめば簡単そうだ。
 家電ではないが、それから間もなくして台所のシンクの排水が流れなくなる。錠剤を排水口に入れたりしても流れない。こんなことで業者を呼んでいてはお金が大変だと思い、シンクの下に潜っていろいろいじってみる。たたいたり途中にあるキャップをゆるめたりしていたら流れるようになった。さらに錠剤を入れておいたから当分は大丈夫だろう。水道で思い出したが、台所ち洗面所の蛇口を換えてもらったのは3年ほど前のことだ。水漏れだからパッキングを換えれば直ると簡単に考えて業者を呼んだ。すると、いまどきはすっかり蛇口を換えるようになっていて、適合するもので1番安いものにしたものの、2つで7万円近くとられた。このときもびっくりしたのだけれど、修理となるとすっかり部品を取り換えるようになっているから高額になる。しかも簡単に壊れてしまう。時代が変わったのに、いまだに消費文明が根強く生きている。みんなお金がないのに、やっぱりおかしい。もしかして、家電産業はこうやってダメになっていくのかもしれないと、ふと思った。最初から持たなければ被害は少ないし、単純なほうが壊れにくい。
 エアコンも洗浄便座もタイプが違うとはいえ、これまでこんなに早く壊れたことはなかった。それもいまは、次に故障したら新しくしないとダメなようにいわれている。前の家では4台あったエアコンも洗浄便座2台も14年間1度も故障しなかった。後に住んだ人たちも、そのまま使い続けたはずだから、もっと長く使えただろう。確かこれはナショナル(パナソニック)の製品だった。それに比べて近頃のものは、ずいぶん壊れやすくなったものだ。メーカーによってはなかなか壊れないような気がするが、それがわかるには年月が必要だ。それでも生き残っていくのは、やはりそういったメーカーになるような気がする。
 購入時に修理のことも考えたほうがよさそうだ。でも、まてよ。そうはいってもIHも洗浄便座も建築の段階からメーカーは決まっていたような気がする。

2016年6月3日金曜日

(4)しつけと決着

 文鳥に限らず子供にしつけをするのは大変だ。こちらのいうことをきかないからといって、むきになって怒ると、相手は意地でも従わない。こうなったらケンカのようなものだから、相手だって負けていない。それなりのプライドがあって、簡単に折れたくないのだろう。
 それをわからずに、いうことをきかない、反省しないといって、こちらがヒートアップしてしまっては大変で、文鳥などはパニックになって逃げまわる。
 それでも何を怒られているのか、だいたいわかっているはずだから、そのとき素直に従わなくても、そのうちに学習する。
 早急の危険がなければ執拗に従わせることは、こちらの力を示したことにはなるものの、相手の納得や学習にはつながりにくいように思う。
 叱ってすぐにやめさせなければ危険な場合は別だが、いま謝らないからとか、すぐにいうことをきかないからといって、その場で決着をつけようとしては危険だ。叱る側がヒートアップすると、過剰な罰を与えがちだが、これがエスカレートすると、とんでもない事態を招く。
 北海道で親の注意を受け入れないという理由で車から降ろされて行方不明になってしまった子の例もそれに当たりそうだけど、無事に見つかって本当によかった。親も反省しているようだが、1つ間違えれば取り返しのつかない事態になるところだった。叱っておくのは大切だが、叱ったからといって、子供が素直にいうことをきくものでもない。
 仮にこちらの剣幕に恐れをなして相手が折れたとしても、納得や学習にはつながらないどころか、場合によっては反抗心を育て、憎しみを生じさせたりするものだ。
 わが子が幼いころ、何で叱ったかは忘れてしまったが、わたしは腹を立てて
「謝りなさい」と繰り返した。息子はその剣幕に、ついに
「ごめんなさい」といったものの、その次の言葉に愕然とした。
「だけど、ボクは正しい」と小さな声でつぶやいたのだ。
 幼稚園にもいっていない小さな子がそういったのだ。
 しつけと称して、その場で決着をつけようとすると、叱るほうも叱られるほうも冷静さを失うから、へたをすると死に至る場合だってある。
 文鳥でさえ、こちらが何度も態度で示しておけば、やがて学習する。ましてや人間の子供にわからないはずがない。叱っておけば、それがいけないことだとわかる。だから、その場で無理やり決着をつけずに、子供は長い目で見て育てたいものだ。

2016年4月21日木曜日

(3)鳥ぎらい

 世の中には鳥が嫌いという人がけっこういるようで、身近なところでも4人知っている。4人とも65歳以上の女性だから、若い人のことはよくわからないけれど、そのうち3人は成長期の経験が影響しているらしい。
 彼女たちは幼いころ、もしくは若いころに、食用にするためのニワトリの無残な姿を見ていたり、羽をむしられた肉の塊を見たりしている。わたしの中では目の前の文鳥と食卓のチキンは全くの別ものなのだけど、彼女たちは鶏肉嫌いと同等に小鳥のことも嫌いらしい。
 羽のざわざわ感がたまらなくいやで羽毛布団は使えないという人もいる。そんな感じはわからないでもないものの、それは恐らく実際の感触よりも想像力によるところが大きいのではないかと思った。
 あるとき、その彼女がわたしの家にきて、ソファーのクッションを手にしてきいた。
「これ、中は羽毛じゃないわよね」
 いまにも頬ずりしそうな格好できかれ、思わず
「ううん、違うわよ」といってしまったわたしだけれど、彼女は安心したようにクッションを抱いてくつろいだ。わたしは少し心配で様子をみたが、やっぱり彼女に何も起きなかった。それからそのクッションはずっと羽毛など入っていないことになっているけど、アレルギーが出た人はいないから知らなければ大丈夫のようだ。
 鳥の抜け毛に過敏な人は、鳥の羽が綿毛のように舞うのは苦手だろう。確かに換羽の時期は鳥かごの下だけでなくそこらじゅうに羽毛が落ちて、しょっちゅう掃除機をかけていなければならないほどだから、それを想像しただけでもいやになるというのもわかるような気がする。
 鶏肉嫌いという彼女は、ヤキトリのあのいいにおいもぞっとするのだという。そんなことを知らなかったわたしは、ヤキトリ30本を買い、彼女にそのお店から、同じ建物内にある集会室まで運んでもらったことがある。真面目な彼女は頼むと黙って持っていってくれたのだけど、あとで「生きた心地がしなかった」と聞き、申し訳なく思った。主婦なのにそんなに鶏肉が嫌いだなんて、思いも寄らなかったのだ。わたしがゴキブリを見て悲鳴をあげるのと同じくらいいやだったのかもしれない。とはいえ1本くらいなら彼女のお皿に乗っていても黙っているから、我慢のできる範囲というのがあるのだろう。あのとき30本のにおいは確かに強烈だった。
 鳥ぎらいといっても、この3人は小鳥の写真や絵を見てさわいだりはしない。文鳥も鳥かごに入っていれば気にしなくてすむらしいが。もうひとりの彼女は、本物の小鳥はもちろん、小鳥の写真さえ見ていられないというから重症だ。テレビ画面に鳥が映っているだけでも耐えられないそうで、一緒に見ていた家族が気遣ってチャンネルをかえるという。小鳥の大きな写真入りカレンダーが壁に掛けてあるわたしの部屋には、とても入ってもらえそうもない。入って卒倒でもされたら大変だ。
 そんな彼女もわたしの家に2度ほどきたことがある。正確には3度だったかもしれないけれど、1度は玄関で返ってしまったから、ほとんど問題はなかった。実はあとの2度は文鳥が14羽もいる居間に入って団らんし、そのときはまだ、わたしは彼女がそんなに鳥ぎらいだとは知らなかったのだけれど、幸い何事も起きなかった。
 それもそのはずで、夜の7時すぎの来宅だったため、文鳥たちの鳥かごには布がかけられていて、みんな眠っていたからだった。
 知らない人が聞けば笑い話かもしれないけど、彼女の鳥ぎらいは家族にとっても大変らしい。わたしには理解できないことで、彼女にもその理由はわからないというから、理由などなく嫌い、つまりそれほどいやなのかもしれない。どうも生理的に受け付けないらしいから、遺伝子にわたしとは違う何らかの鳥情報が入っている可能性がある。
 そういえば、わたしの場合、親たちも文鳥やインコを飼っていたし、祖母もチャボや怪我をしたオナガドリを飼ったりしていた。夫の祖父もたくさんの十姉妹を飼育していたことがあると聞いたから、環境によっても鳥ぎらいか鳥ずきかが決まってくるのかもしれない。
 ともあれ、そんな彼女たちが、このブログを見ることはないはずだ。

2016年4月4日月曜日

(2)郷土博物館

 数日前、学生時代の同級生3人と花見がてら近くの郷土博物館に行った。ここには昔の漁師町を思わせるものが展示してあり、海苔の養殖やべか舟の作り方なども紹介されている。以前にきたときと違い、この日はよく晴れた春休みの日なのに、子どもたちの姿はない。博物館の庭に造られている昔の町を模した場所もすいていた。たまたま登校日に当たっていたらしい。
 昔の家をそのまま持ってきたというたばこの入ったショーケースのある店に入ると店内にもガラスのケースがあって、中には文房具や石けん、歯ブラシなどが入っていた。たばこを売っている雑貨店だろうか。
 案内人に勧められて靴を抜いで土間から座敷に上がると、小さな卓袱台が置いてあり、友人が、
「こんなに低いのに座れるのかしら」といって卓袱台に添えてある座布団に座る。大丈夫そうだったものの、かなり小さい。高さのない茶箪笥と小ぶりな畳にマッチしていたけれど、これが昔の大きさだと思った。
 家の中の何もかもが小ぶりだが、ここにあるのは本当に使っていたものばかり。子ども時分には身の回りにあったものだがこんなにも小型だったかと感心してしまう。昔の慎ましやかで開けっぴろげな生活が浮かぶ。興味本位にトイレをのぞいてみると、小さな和式便器の両脇には足を乗せるせとものの台が置いてあり、友人と目を合わせて笑った。1階には畳の部屋が2つで、2階に続く階段があったが、通行止めになっていた。5年前の震災以後、2階は開放してないということだった。以前にきたとき狭い階段を上がると天井の低い承部屋があった気がするから、地震のときなどに逃げるのは大変だろう。氷を入れて冷やす冷蔵庫や掃除するときに使ったハタキなど懐かしいものを見ながらたばこ屋を出て狭い道路を行く。
 看板だけのすし屋や豆腐屋などが軒を連ねていた。入口の開いている家に入るとそこは休憩所になっていて、セルフサービスのお茶を飲んでひと休み。
 時代や価値観をを共有できる友人との会話は楽しい。いつのまにか若返ってくる。
 戦後日本の復興とともに歩んできた世代は、まず学校で民主主義を教わった。そして貧しいが自由な空気が広がっていた。やがて経済の発展とともに、与えられた自由はしぼんで行き、〝ものいわぬ人間〟が多くなった。物が豊かになるにつれ、人の心の豊かさはしぼんでいったような気がする。そして、生きにくくなった社会。わたしたちは何をしてきたのだろうか。
 一抹のさびしさを胸に、博物館の横にあるレストランに入った。
 ここに来るのも久しぶりだけど、昼時と逢ってにぎわっていた。名物のアサリ御飯を注文すると、若いウエイターが水を持ってきた。とても丁寧で、ひとりひとりに水を配る。そして老齢のウエイター、若いウエイトレスときて、注文や配膳に余念がない。このレストランは障害者や高齢者が働けるお店なのだ。もう20年ほど前になるだろうか、友人たちが障害者の働ける場所として市に働きかけてつくったレストランだ。先頭に立って奔走した友はすでにこの世にいないけれど、彼女がいなかったらこのレストランはなかっただろう。いまこうして明るく働いている彼らを見ると、これもわたしたちの時代が残したものと思い、誇らしい気分になってくる。いつも何かをやりとげるには闘いの連続で彼女はそのために命を縮めてしまったような気がするけれど、このレストランのにぎわいは、彼女の社会貢献のあかし。そう思うと涙が浮かんだ。

2016年3月11日金曜日

(1)人に寄り添う

 きょう3月11日、東日本大震災から5年を迎え追悼の行事があちこちで行われた。朝のテレビを見ていたら、この日にどこかの学校給食に赤飯が出るというのが話題になっていた。それは卒業祝いの行事の一環で、今年たまたま11日になってしまったのだというから、もちろん他意はないのだろう。しかしわたしは、この行事をきょうやることに対する賛否の意見を聞いていて愕然とした。
「大震災と卒業祝いは関係ない。じゃあ誕生日の祝いもできないのか」といったものが大半で、公教育に対する視点がないどころか、まるで被災者に対して他人事。口では被災者に寄り添ってなんてすらっといっているのに、どういうこと? 
 だれもこの日に誕生日を祝ってはいけないといっているわけではない。公教育がこのような日をとらえて、子どもたちに優しさや教訓を学ばせることもできないではしょうがない。
 赤飯を出す日が3月11日に重なったことに気づかなかった主催者側のその鈍感さは、教育に携わる者としての資質を疑う。配慮さえできない学校は、何を教えているのだろうか。これは、広島のまちがった進路指導によって死に追いやられた少年のことと無関係ではないだろう。