2016年4月4日月曜日

(2)郷土博物館

 数日前、学生時代の同級生3人と花見がてら近くの郷土博物館に行った。ここには昔の漁師町を思わせるものが展示してあり、海苔の養殖やべか舟の作り方なども紹介されている。以前にきたときと違い、この日はよく晴れた春休みの日なのに、子どもたちの姿はない。博物館の庭に造られている昔の町を模した場所もすいていた。たまたま登校日に当たっていたらしい。
 昔の家をそのまま持ってきたというたばこの入ったショーケースのある店に入ると店内にもガラスのケースがあって、中には文房具や石けん、歯ブラシなどが入っていた。たばこを売っている雑貨店だろうか。
 案内人に勧められて靴を抜いで土間から座敷に上がると、小さな卓袱台が置いてあり、友人が、
「こんなに低いのに座れるのかしら」といって卓袱台に添えてある座布団に座る。大丈夫そうだったものの、かなり小さい。高さのない茶箪笥と小ぶりな畳にマッチしていたけれど、これが昔の大きさだと思った。
 家の中の何もかもが小ぶりだが、ここにあるのは本当に使っていたものばかり。子ども時分には身の回りにあったものだがこんなにも小型だったかと感心してしまう。昔の慎ましやかで開けっぴろげな生活が浮かぶ。興味本位にトイレをのぞいてみると、小さな和式便器の両脇には足を乗せるせとものの台が置いてあり、友人と目を合わせて笑った。1階には畳の部屋が2つで、2階に続く階段があったが、通行止めになっていた。5年前の震災以後、2階は開放してないということだった。以前にきたとき狭い階段を上がると天井の低い承部屋があった気がするから、地震のときなどに逃げるのは大変だろう。氷を入れて冷やす冷蔵庫や掃除するときに使ったハタキなど懐かしいものを見ながらたばこ屋を出て狭い道路を行く。
 看板だけのすし屋や豆腐屋などが軒を連ねていた。入口の開いている家に入るとそこは休憩所になっていて、セルフサービスのお茶を飲んでひと休み。
 時代や価値観をを共有できる友人との会話は楽しい。いつのまにか若返ってくる。
 戦後日本の復興とともに歩んできた世代は、まず学校で民主主義を教わった。そして貧しいが自由な空気が広がっていた。やがて経済の発展とともに、与えられた自由はしぼんで行き、〝ものいわぬ人間〟が多くなった。物が豊かになるにつれ、人の心の豊かさはしぼんでいったような気がする。そして、生きにくくなった社会。わたしたちは何をしてきたのだろうか。
 一抹のさびしさを胸に、博物館の横にあるレストランに入った。
 ここに来るのも久しぶりだけど、昼時と逢ってにぎわっていた。名物のアサリ御飯を注文すると、若いウエイターが水を持ってきた。とても丁寧で、ひとりひとりに水を配る。そして老齢のウエイター、若いウエイトレスときて、注文や配膳に余念がない。このレストランは障害者や高齢者が働けるお店なのだ。もう20年ほど前になるだろうか、友人たちが障害者の働ける場所として市に働きかけてつくったレストランだ。先頭に立って奔走した友はすでにこの世にいないけれど、彼女がいなかったらこのレストランはなかっただろう。いまこうして明るく働いている彼らを見ると、これもわたしたちの時代が残したものと思い、誇らしい気分になってくる。いつも何かをやりとげるには闘いの連続で彼女はそのために命を縮めてしまったような気がするけれど、このレストランのにぎわいは、彼女の社会貢献のあかし。そう思うと涙が浮かんだ。

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