2017年4月22日土曜日

(8)テロ等準備罪「共謀罪」の法案

「これでは、日本がますます変な国になってしまう」
 これがこの法案の国会審議などを見て思ったことだ。そもそも担当大臣にすらよくわかっていない法が国会で承認されるようなことがあって良いのかということ。この状態をみただけで、国民に内容を知らせるつもりはないように見える。おそらくあまり知られたくないのだろう。
 わたしは法律に詳しくはないが、しかし、何も犯罪を犯さないうちに罪人をつくって罰することなどあっていいのだろうか。この考え方で行けば、権力を持ったものがその気になれば、自分たちと考えの違う者を簡単に取り締まれるということになるのではないか?
 もし、わたしたちの文芸サークルに過激な文章を書く人が入ってきて、一緒に活動していたら、どうなるのだろうか?
 そんな心配が沸いてきて、やたらグループには属さないほうが安全だということにもなってくる。社会がこんな風潮におおわれたら、人々は委縮し、ますますやる気をなくすだろう。そうなったら活力のある社会など、とても望めない。行きつく先は猜疑心に満ちた社会だと容易に想像できる。人としての自由がない社会ほど生きる価値が見い出せない社会はない。
 科学者や専門家の意見を軽視している政治屋のおじさんに、何がわかっているのかと、はなはだ疑問で、この法案の恐ろしさを多くの人に知ってほしいと思った。
 古くは「三鷹事件」もそうであったが、最近でもボランティア活動をしていたほとんど政治的に問題のない労組員が、たまたま労組の役員だったという理由で、子どもを保育園に送って行ったその場所で逮捕された事件をしっている。こうなると彼が罪を認めない限り家には帰してもらえなかった。どちらもおかしな内部告発者によってデッチアゲラレタ事件である。
 たった1人の組合員の密告で、罪のない数人の労組員が逮捕された事件だったが、このような事件はこれまででさえ数えきれないほど起きている。この法案が施行されれば冤罪の恩パレード、もしくは死んだような社会が生まれるだろう。だからこそ、これまでに何度も廃案になってきた。今度も廃案にしなければならない。

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