2015年7月31日金曜日

(十六)文鳥たちの大震災②

 最初に大揺れに襲われたとき、文鳥たちはさぞかし驚いただろう。それでもあやさんの知る限り、その後、大きな揺れがきても、彼らが騒ぐことはほとんどない。とはいえ、何か恐ろしいことが起きているとは思ったはずで、そのため緊張しているのか、いつもよりおとなしい。
 あやさんちは、家が傾いたものの、壊れてはいない。それに人間も文鳥も無事だった。けれども、福島の原発が大変な事態になったので不安な日が続く。想像もしなかった大津波の大災害に加えて、原発まで放射能を撒き散らしたら、この国の人々はどうなってしまうのだろう。テレビでは凄まじい大津波の映像がくり返し流されて、これではとても助からないと自然の脅威におののいた。
 文鳥たちもそれを見ていたはずだから、何かを感じていたに違いない。それに大きな揺れの合間にも、ずっと地面が揺れているような気がするから、敏感な彼らが、それを感じないわけはない。
 そして、彼らにとっても、試練の日々が始まった。
 家の傾きは、さほどのことではなかったように思うけど、しょっちゅう襲ってくる大きな揺れには閉口しただろう。そんなとき緊張するのか、みんなおとなしくなった。
 まず最初に困ったのは、水が出なくなってしまったことだ。大鍋を持って給水車に並び、水をもらってきたときには、2、3日の辛抱だろうと楽観的に考えていた。けれども給水車に並ぶ日が続き、とても文鳥たちの水浴びどころではなくなった。
 いつも水飲み容器で浴びている者はいいとしても、水道の蛇口で水浴びをしているマイは、仕方なく水飲み容器に入って、先の丸まった足でガシャガシャと変な音を立てながら、水浴びをしている。でもフーは、そういうわけにもいかないから、何日も水浴びができない。水浴びなど全くしない文鳥もいるようだから、そのこと自体はあまり問題ではないだろうけど、ひといちばい水浴びが好きなのに、あの怪我以来、手のひらでしか浴びられないから、可哀想だった。
 フーが水浴びをしたそうな顔をするので、困ったあやさんが、水の出ないことを教えようと、フーを手に乗せて水道の蛇口に連れて行く。レバーを上げて水が出ないところを見せると、蛇口を見上げて不満そうな声をあげる。
「ウウウー」と、気に入らないというように体をひねって、まるで駄々っ子のようだ。そこで、あやさんがポリタンクから水を出して手に溜め、少し浴びさせようとするものの、それではダメなようで、フーは首を振っていやいやをする。
 水も出ないのに、原発事故のせいで、計画停電まで始まった。なぜかこの地域はいつも夜の寒い時間帯に停電になる。真っ暗闇で道路の復旧工事をしている人々を目にした息子が、見かねて電力会社に電話をしたけど、この地域の計画停電は、被災地といえども外されずに実施された。
寒いのが苦手な文鳥たちにとっても、この計画停電は問題で、昼間ならまだいいけど、3月の夜はかなり寒い。東北では、もっとずっと寒いはずだから、家族や家を失った人々は、暖が取れているのだろうかと胸が痛む。
 それに比べれば大した寒さではないはずだけど、寒さは文鳥たちの命にかかわるから、停電の直前までエアコンに加えて2台の電気ストーブを点けて、居間の中を暖めた。
 それでも1時間もすればかなり冷えてくるから、予定の4時間が30分でも短縮されればうれしかった。あやさんは湯たんぽでも入れた布団にくるまっていればよいけど、文鳥たちはそうもいかない。こんなとき石油ストーブが欲しいと思ったけど、実際に買えたのは、8か月後のことだった。
 文鳥たちのえさは愛知県の販売店から取り寄せているので、不足して困ることはなかった。またサラダ菜も、震災直後に、
「駅前の八百屋が、店舗が使えないけどお客様サービスだといって、路地販売していたよ。しかも100円だった」といって、夫が入手してきたりして、何とかなった。
 水は2週間後に出るようになり、ほかの文鳥のように水飲み容器で浴びられないフーも、これでようやく水に入れる。久しぶりに蛇口から出る水に喜んで、パピを呼んだ。フーは、
「チュチュチュチュ」と声をあげて、子どものように、はしゃぎながら長々と浴びる。パピと一緒に水浴びをしたこともあって、うれしさのあまり調子に乗って、そのまま飛んで行こうとした。
 すると羽が濡れているため高く飛び上れずにストンと床に落ちる。あやさんが手を差し出すと、フーは伐が悪そうにスッと乗ってきて何事もなかったような顔をした。
 水は出るようになったものの、下水の復旧までにはまだまだ時間がかかりそうで、思うように水が流せない不便な日が続く。そんなときあやさんたちは車で親戚に行って入浴や洗濯をさせてもらったけど、湯舟に入ると強張った筋肉がほぐれて、生き返ったような気分になった。 
 下水の復旧までには1か月以上かかったけど、それでも徐々に生活のリズムが戻ってきた。文鳥たちも、ときどき襲う余震の揺れにも慣れてきたのか、以前と変わらない暮らしぶりに見える。とはいえ、さすがに卵は産んでいない。
 ふたりは毎日のように庭に出て、盛り上がった液状化の泥を土嚢袋に詰めて道路に出す作業に追われた。家の窓は閉め切りにして、外に出るときにはマスクをかける。そこらじゅうに積み上げられた液状化の泥が、乾燥して風に飛ばされ、花粉のように舞っている。辺りの景色が茶色に見えた。
 そんななかで、夫とあやさんが作った土嚢袋の数は、百を優に超え、狭い庭から出た大量の泥に、これでは家が傾くはずだと、液状化の恐ろしさを改めて思った。家を建てるとき何十本も地面に打ち込んだクイは、あまり役に立たなかったようだ。
 当然のことながら、この間に文鳥たちが鳥かごから出て遊べる機会は減っていた。
 その後も家の復旧工事の打ち合わせなどで、人の出入りが多く、落ち着かない日々が続く。そのせいか、夏を過ぎてもピポをはじめ、それまでたくさん卵を産んでいたナナやココまでが、1つの卵も産んでいない。

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