2015年7月24日金曜日

(十六)文鳥たちの大震災①

 春といっても、まだ空気の冷たい晴れの日の午後、ふたりはいつものように食料品の買出しのため、近くのスーパーに車で行った。
 買物を終えてレジをすませ、そばの広い台で食料品をレジ袋に入れていると、突然、大きな横揺れが起きた。
 体ごとあらぬ方向に持って行かれるすごい揺れ。あやさんは慌ててカゴに残っている食料品をレジ袋に詰め込む。その間も揺れが治まる気配はない。ぐらぐらして立っているのが困難になり、台につかまった。
 揺れが一旦、静かになったので、どこかへ逃げなければとオロオロしていると、また大揺れが襲ってきて、夫に手を引かれた。
「どこへ行くんだ。ここにいたほうがいい」
 夫がそういったとき、店のどこからか係員らしい男性がふたり現われ、両手を広げて大声を出す。
「みなさん、この建物は安全ですから、外へ出ないでください。このまま揺れが治まるのを待ってください」
 あやさんは少し落ちついてきたけど、やっと静まった揺れが、再び大きくなったので、大変なことが起きていると思った。
 通路わきで震えていた展示用の小さな棚が、いきなり滑って倒れた。かなり大きな揺れが長く続いている。あやさんは立っているのがやっとで、広い台につかまっていた。
 どこかで大地震が発生したのは間違いないようだけど、まだ震源地や地震の規模はわからない。一刻も早く家に戻らなければと、あせった。
 揺れが少し治まったので、小走りに店の出口へ向かう。夫は家の文鳥たちのことを心配している。店の出口のドアガラスが割れて、破片が床に散らばっていた。さっき係員の指示どおりに店内に留まったのは正解だったと思いながら、広い屋外駐車場に出る。
「かなり大きかったわね」
「東南海かな? 鳥かごが落ちてないか心配だ、早く帰らないと」
 駐車場の地面のところどころが濡れたようになっている。あやさんちの車の場所に行くと、車の後ろの地面から細い水が高く噴き上がっていた。水道水がホースの先からいきおいよく出るように、透明な水がかなり高くまで噴き上がる。
「ここに水道栓でもあるのかしら」
 あやさんは、水の噴き出し口近くに立っている高いポールを見て、そういったけど、それが液状化の水だと、後になってわかった。
 噴き上がる水の勢いがすごいので、夫が急いで発車した。駐車場から出て大通りの交差点に行くと、渋滞している。車が止まると、地面の揺れがはっきり感じられて、あやさんはドキドキする。渋滞は、どこからか道路に水が出てきているためらしい。車のタイヤが水に浸かっていると夫がいう。
 しょっちゅう襲ってくる大きな揺れを感じながら道路を見ると、水がどんどん増して川のようになってくる。早くこの場を脱出しなければ大変と、上ずった気分で思った。
 気持ちはあせるものの、車は少しずつしか進まない。一刻も早く家に着きたいのに、それどころではない。下手をすれば、このまま帰れなくなってしまうかもしれない。あやさんはハラハラドキドキしながらも夫の運転に任せるしかなかった。そして、ついに、交差点を曲がった。
 地面の一部が大きく割れて陥没しているのが見える。なんと、そこから水が道路に湧き出しているではないか。
 水はどんどん湧いてくるのに、車はジョコジョコとしか進まない。まるで川の中にいるようで、このまま水かさが増せば、それこそ大変。場合によっては車から脱出して、水の中を歩かなければならない。いや、脱出できるかもわからないと、増え続ける周りの水を見て、あやさんは不安になった。一刻も早く文鳥たちのところへ行きたいのに、いまあやさんのできることは「早く車よ前へ進んで」と祈ることだけ。
 ジャブジャブと音を立てて、少しずつだけど、30メートルほど前に進んだ。途中、白いバンの軽自動車が水につかって、道路の中央辺りに取り残されていた。中にだれも乗っていなかったから、もともと道路の端に停まっていたものがそこまで動いたのかもしれない。
 そのわきをそうっと前の車について通り抜け、そのまま少し行くと、道路の水は、ほとんどなくなっていた。もう渋滞もなく、夫が車のスピードを上げる。
 家は近いのに、車に乗っていたために、かなりの時間を費やしたと思いながら、車を家の駐車場に停めて、急いで玄関に入った。すると文鳥たちの鳴き声がして、ふたりが帰宅したことを喜んでいる。少し安心して、まず彼らのところへ行く。
 鳥かごは無事に台の上にあり、みんな無事だった。ほとんど落ちたり倒れたりしていないように見えたけど、よく見ると、台所のシンクの下の引き出しが全部いっぱいに出ていて、ステンドグラスのスタンドも倒れてソファーによりかかっていた。やはりかなりの揺れがあったらしい。
 ふたりは文鳥たちが無事なので、胸をなでおろしたけど、鳥かごが下に落ちて怪我でもしていたら、慌てただろう。
 文鳥たちもふたりの顔を見て安心したようなので、あやさんは車の荷物を取りに外へ出た。
すると、駐車場の後ろの庭では泥水が湧き上がっている。なぜこんなことになっているのかとびっくりして見ていると、さらに庭の真ん中から一筋の水が噴き上がった。さっきスーパーの駐車場で見たのと同じだ。
 地震で庭の水道管が破裂してしまったのかと思い、あやさんは気が重くなったけど、この噴水も液状化により生じたものだと、あとになってわかった。庭の水道管には異常がなかったのである。
 そのうちに庭に湧き出している泥水が、駐車場に流れてきた。このままでは車が泥に埋まって動かせなくなってしまうので、急いで夫を呼び、車を駐車場から道路に出してもらった。
 その間にも流れ込んだ泥水が溜まって、駐車場は大量の泥で埋まった。
 それからも揺れの中で泥水はどんどん庭に盛り上がり、気がつくと家が庭のほうに傾いていた。それでも、傾いただけで、文鳥も人も、家の中のものも無事だったから、ふたりはひとまず安心した。そして、テレビをつけると、東北の太平洋側では大変なことが起きていた。
 夫はなかなか通じない電話をしたり、受けたりして、親戚の無事を確かめあっていたが、その間にも揺れが断続的に起きて、文鳥たちは静かだった。
 駐車場を埋めてしまった泥をかき出して、とにかく車が停まれるようにしなければならないから、近所で大きなスコップを借りて、配られた土嚢袋に泥を詰めた。それだけならまだしも、できあがった土嚢袋を家の前の道路に出すのは大仕事。すごい重さには台車を使っても苦労した。それでも何とか車が停められるようになり、夫は夜になると、激しい揺れが続く中、勤務先で動けなくなっている息子を迎えに車で出かけた。電車が止まってしまったので仕方のないことだけど、電車なら20分の距離を10時間かかって往復した。その間にも大きな揺れが何度もあり、文鳥たちは布がかけてあったので静かだったものの、朝、車が返ってくるまであやさんは心配と揺れでほとんど眠れなかった。
 2011年3月11日の東日本大震災である。(つづく)

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