2024年5月27日月曜日

(10) 引っ越し

 

 きょうは数日ぶりの雨模様。たしか昨日辺りに友人の娘家族が千葉から京都に引っ越したはずだ。最近では引っ越し業者の数が減り、連休中に越したかったのに今頃になってしまったという。運送業者も工事職人も減っているというから、これからは不便な社会になっていくのだろう。そういえば昨年秋に導入された消費税のインボイス制度とかで農業をはじめ芸術家や職人など小さな企業が廃業に追い込まれている。そしてパンデミックで大きな人口減があったから、この国は明らかに衰退に向かっている。そんななか国民のほとんどが支持していない政府が続いている。以前のようにマスコミが抑えられ、国民が知らされないままに戦争が起きるのではないかと心配になるこの頃。

 家の中の文鳥たちもおとなしい。老文鳥ということもあるだろうけど、あやさんのそんな不安を察知しているのかもしれない。

 とにかく不安な世の中で、娘が京都に引っ越してしまった独り暮らしの友人は、高齢だから心細そうだ。最近、別のやはり恒例の友人は独りでマンション暮らしをしていたけれど、離れて住む息子たちの勧めで近くの老人ホームに入居した。みんなが先々不安になるような暗い世の中が広がっている。世界中が平和であってほしいと祈る日々。

2024年5月12日日曜日

(9)ゴールデンウィークも過ぎて

 

ここ3日とも日中は晴れているが強風のせいかあまり気温が上がらない。朝などは肌寒いので文鳥のところにはパネルの暖房をいれている。みんな年寄りだし換羽のせいもあってか、鳥かご内で静かにしていることが多い。それでも居間に行くと、うれしそうな声で鳴くから、やはりかわいいし、ほっとする。

 先月、ピヨがいなくなってしまった鳥かごは、そのままの位置にあり、隣のスーたちの鳥かごのこともあって、これまでどおりに布がかけてある。いつものようにその布から外して文鳥たちの鳥かごを明るくしていくとき、ときどき間違って「ピヨちゃん、おはよう」といいそうになる。その言葉を飲み込んで黙って布をたたんで、それからスーとフユに覆いを外しながら「おはよう」と声をかける。まだ、ピヨのことを忘れるには時間が足りない。ピヨはあまり飛べなくなって久しかったが、昨年7月に夫のクリが亡くなってからは、やはり元気がなかった。それほど仲がよい夫婦とも思えなかったものの、喧嘩をするほど仲が悪かったわけではないから、寂しかったに違いない。クリがいなくなってから、しばらくクリのことを呼んでいたとき、かわいそうに思ったものだ。そんなクリの傍に行ったのだからと思って冥福を祈ることにしている。ピヨは体は大きかったが、何となく幼い可愛さがあった。シルバー文鳥というのは珍しい文鳥のようだけど、桜文鳥や白文鳥のような在来種だったのだろうか。とにかくピヨはほかの文鳥よりも大柄な鳥だった。生後4か月ほどでこの家に来た時からバサバサと羽を動かして飛んでいた。それは子供のときほとんど飛んでいなかったパピの飛び方にも似ていたから、そのせいだったかもしれないし、別の理由があったのかもしれない。やはり幼いうちから飛んでいる子とは違う飛び方だったと思う。それが身体の大きさによるものかどうかはわからないけれど、とにかくピューンとは飛ばなかった。文鳥は繊細なところがあるから、クリがいなくなってからずっとクリのことを思っていたのかもしれない。いつも隣にあるスーたちの鳥かごをながめていた。

 そういえば5月3日の憲法記念日はこの家で生まれた初めてのヒナ・白文鳥のマイの誕生日だった。あれはパピがこの家に来た都市だったから2010年のことだ。もう14年も経つのかと、光陰矢の如しとは、まさにそのとおりだと思う。