ここ3日とも日中は晴れているが強風のせいかあまり気温が上がらない。朝などは肌寒いので文鳥のところにはパネルの暖房をいれている。みんな年寄りだし換羽のせいもあってか、鳥かご内で静かにしていることが多い。それでも居間に行くと、うれしそうな声で鳴くから、やはりかわいいし、ほっとする。
先月、ピヨがいなくなってしまった鳥かごは、そのままの位置にあり、隣のスーたちの鳥かごのこともあって、これまでどおりに布がかけてある。いつものようにその布から外して文鳥たちの鳥かごを明るくしていくとき、ときどき間違って「ピヨちゃん、おはよう」といいそうになる。その言葉を飲み込んで黙って布をたたんで、それからスーとフユに覆いを外しながら「おはよう」と声をかける。まだ、ピヨのことを忘れるには時間が足りない。ピヨはあまり飛べなくなって久しかったが、昨年7月に夫のクリが亡くなってからは、やはり元気がなかった。それほど仲がよい夫婦とも思えなかったものの、喧嘩をするほど仲が悪かったわけではないから、寂しかったに違いない。クリがいなくなってから、しばらくクリのことを呼んでいたとき、かわいそうに思ったものだ。そんなクリの傍に行ったのだからと思って冥福を祈ることにしている。ピヨは体は大きかったが、何となく幼い可愛さがあった。シルバー文鳥というのは珍しい文鳥のようだけど、桜文鳥や白文鳥のような在来種だったのだろうか。とにかくピヨはほかの文鳥よりも大柄な鳥だった。生後4か月ほどでこの家に来た時からバサバサと羽を動かして飛んでいた。それは子供のときほとんど飛んでいなかったパピの飛び方にも似ていたから、そのせいだったかもしれないし、別の理由があったのかもしれない。やはり幼いうちから飛んでいる子とは違う飛び方だったと思う。それが身体の大きさによるものかどうかはわからないけれど、とにかくピューンとは飛ばなかった。文鳥は繊細なところがあるから、クリがいなくなってからずっとクリのことを思っていたのかもしれない。いつも隣にあるスーたちの鳥かごをながめていた。
そういえば5月3日の憲法記念日はこの家で生まれた初めてのヒナ・白文鳥のマイの誕生日だった。あれはパピがこの家に来た都市だったから2010年のことだ。もう14年も経つのかと、光陰矢の如しとは、まさにそのとおりだと思う。
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