2015年6月18日木曜日

(十三)フーが消えた②

 1年前にピーが死んでから、フーはピーの忘れ形見のような存在になっている。ここでフーまでいなくなったら、文鳥たちとの暮らしも味気ないものになってしまうかもしれない。これほど心が通じ合う文鳥はいない。フーまで失ったら、しばらくは立ち直れないだろう。あやさんは思わず、天国のピーに向かってつぶやいていた。
「ピーちゃん、お願い。フーを守って!」 
 外はもう薄暗くなっている。これ以上、探しても無駄のようだ。あやさんは家に入り、ぼんやり夕飯の仕度を始めた。
 ざわざわした落ち着かない気分でいると、
「ああっ!」という夫の変な声。ギクッとして居間に行く。
「どうしたの?」ときくあやさんの目の前で、夫が何かを拾い上げた。そして、
「フーちゃん、フーちゃん」と泣きそうな声でいう。
「えっ? フー? いたの? 生きている?」
 こわごわあやさんがたずねる。
「これは卵詰まりだ」と、夫がフーのお尻から出かかっているフンまみれの白っぽいものを指で掻き出した。
 フーは瀕死の状態だけど、生きている。卵が出たので少し楽になったのか、水を飲み、えさも食べた。
「フーちゃん、どこにいたの?」
 あやさんは涙が出てきたけど、早く手当てをしてやらねばとオロオロする。夫が、
「綿棒!」といったので、綿棒を持ってきたものの、ほかに何をしたらよいかわからない。
「どこから出てきたの」
「わからんが、このダンボールの前で白いものがバサバサって動いたんだ」
 その辺はすでに、えさなどの入ったダンボール箱などをどけて、調べたはず。
「変ね。不思議。でも、フーちゃん、よく出てきてくれたわ」
 あやさんが胸がいっぱいになってフーを抱いていると、夫が急に慌てだした。
「卵詰まりは、鳥にとって命とりなんだ」
「どうするの?」
 夫はあやさんには応えずに、携帯電話を持ってきて、小鳥の病院に電話をかけた。
「明日の予約が取れた」
 電話を切った夫が、ホッとしたようにいったので、あやさんも少し落ち着いて、フーを夫に任せて、また夕食の準備にかかる。すると、夫の携帯が鳴った。夫が携帯を片手に、
「ハイ、ハイ」といっている。小鳥の病院からだった。
「卵詰まりは一刻を争うから、先生がすぐに連れてくるようにだって。診療時間外の7時に予約を入れてくれた」
 夫がそういったので、あやさんはまた慌てだす。プラスチックケースを取り出して、中に布を敷き、水とえさを入れてフーを座らせた。それをあやさんが抱えて車の助手席に乗り込むと、すぐに発車。
 もう6時を過ぎていて、夫は高速道路をとばした。フーはあやさんの抱えるプラスチックケースの中で、前を向いたままじっとしている。
「フーは、どこから出てきたのかしら」
「さあ、わからないな。呼んでも応えなかったから、気絶していたのかな」
「あの辺は、あなたも探したのに変ね」
「動かなかったから、わからなかったのかな」
 考えられるのは、やはり、身重のフーが驚いたかして飛んだものの、コントロールを失って止まり損なって落ちたということだ。落ちたのは鳥かごが乗っている机の下辺りで、しばらく気絶していたのではないだろうか。そしてやっと気がついて這い出してきた。
 文鳥はみんな臆病で、ちょっとした音や何か変わったものに、すぐに驚く。パニックになって逃げ回り、鳥かごの後ろに落ちたり、とんでもないところに潜ってしまったりする。
 鳥かごのある机の下には、えさ袋の入ったかごやダンボールが置いてあるから、気絶したフーは、そこに紛れていて、探してもわからなかったのだろう。
 とにかく気絶していて動けなかったのは間違いなさそうだ。それが、お腹の痛みか何かで気がついて、必死で這い出してきたところを、夫が見つけた。
 でも、あやさんは、それだけではないと思っている。気絶しているフーに気づかせたのは、ピーちゃんではなかったかと思うのだ。
 小鳥の病院に着いたときは、すでに7時を回っていたが、途中で電話を入れておいたので、医師が待っていてくれた。医師はフーを診て、
「卵詰まりでは、なさそうですね」といったものの、診察室の奥へフーを連れて行った。何かの処置をするらしい。
 まもなくして戻ってきた医師が、フーの体から取り出したといって、プルンとした卵を見せた。スポイトのようなもので取り出した軟卵らしい。これで、当面は卵を産まなくてすみそうで、そちらの心配はなくなったけど、体がかなり衰弱しているといわれた。それに、足もおかしいという話だから、落ちたときに痛めたようだ。
 フーの足は、元々きゃしゃで細いから、弱いのかもしれない。リンゲル注射を打ってもらったけど、この注射は1時間くらいしかもたないということだった。
「とにかく暖かくして、冷房のない部屋に置いて」といわれて、ふたりは緊張したまま栄養剤と薬を受け取り病院を出た。
 夜道をとばす帰りの車中でも、フーはケースの中でずっと前を向いておとなしくしている。
「フーちゃん、よく生きていてくれたわね」
 あやさんがケースごとフーを抱きしめる。けれどもフーは具合が悪いのか黙ってじっとしていた。
 卵詰まりは一応、大丈夫のようだけど、フーの体はまだ気の抜けない状態で、医師には、
「だいぶ弱っているから、2、3日が勝負かもしれませんね」といわれている。
 1時間ほどして家に着き、玄関をあけると、ほかの文鳥たちも心配していたのか、にぎやかにさえずって出迎えた。みんな起きていたらしい。居間に入るとフーも一緒に帰ってきたので安心したようだった。
 いつもより2時間遅れの9時に、夫がそれぞれの鳥かごに布をかけ、ほかの文鳥たちは眠った。
フーは、あやさんの部屋で寝ることになったけど、あやさんちは狭いので全館冷房になっていて、病院でいわれたような部屋はない。そこであやさんは、部屋の冷気の吹き出し口をできるだけ閉めて寝ることにした。
 フーは、リンゲル注射のおかげか、少し元気になり、えさを食べた。7時間の空腹を埋めるように、ゆっくりだけどずっと食べ続ける。そのあと寝る前に、夫が抗生剤と消化剤を飲ませて、プラスチックケースに戻した。プラスチックケースには、大きさのちょうどよさそうな、昔あやさんがつくった小皿と小物入れを起き、その中にえさと水を入れる。手近にある小ぶりで安定した容器は、それしか見つからなかった。そして、ベッドに近いドレッサーの上にケースを置いた。朝まで生きていられるか心配だけど、フーを信じて見守るしかないだろう。 (つづく)

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