2015年9月11日金曜日

(二十)思いがけないヒナ②

 生後1か月がすぎ、心配していたチビも、下から2番目の止まり木に上がれるようになった。
 チビのこともあって、夫のさしえはまだ数日続きそうだけど、チビは相変わらずほとんど口をあけない。夫が育て親を無理やり口に突っ込んで食べさせる。
「やっぱりチビは、うまく育たないかもしれないな」
 夫が心細いことをいう。ひとりで食べて、ちゃんと飛べるようになるかが問題だ。
 その2日後、あやさんがヒナたちの鳥かごをのぞくと、下のフゴにも止まり木にもチビの姿がなかった。クリとマミは1番上の止まり木にいて、上部のえさ入れなどに移動している。
 2羽があやさんを見て喜んで鳴くと、ツボ巣からチビが顔を出した。ホッとして夫にきく。
「あなた、さっき、チビちゃんをツボ巣に入れた?」
「いいや」という返事。すると、チビは自力で、ツボ巣のある上の止まり木まで上がったことになる。これまでの動きからすれば、すごい飛躍だ。
「そうか、チビも、ようやく自分でツボ巣に入れるようになったか」と、夫もうれしそう。
 口の中に無理やりえさを押し込んでいただけに、無事に育つかどうか心配だった。手のかかる子ほど可愛いという。
 やっと鳥かご内のフゴがいらなくなり、今夜から3羽がツボ巣の中で寄り添って寝るだろう。
 チビは、まだ1日に3回さしえを食べているけど、食べる意欲も出てきたので、それなりに成長しているようだ。
 マミとクリが高さ1メートル40センチほどの鳥かごの上に飛んで行ったのを見て、チビもそこに行きたそうだった。ソファーのそでからじっと見ている。距離にして3メートルもないのだけど、チビにとっては高いハードルらしい。
 数日前には、あやさんが手に乗せてそこまで連れて行ったけれど、きょうは知らん顔をしていた。すると、チビがついに飛び上った。そのまま飛んで鳥かごの上に無事着地した。ヒナたちが載っているのは、トビとユウのいる鳥かごで、ヒナたちが生まれ育ったところだ。
 母親のトビとユウは、もう次の卵を産んでいて、ヒナたちには関心がないのか、ツボ巣に入ってしまった。
 ところで、いまユウとトビが温めている卵がかえることはない。これ以上、ヒナが生まれては困るから、夫が偽卵に置き替えたのだ。
 クリは嘴であやさんのブラウスのボタンを噛むのが好き。それに手のひらのやわらかい部分も噛む。
「クリちゃん、痛いよ」というと、やめるどころか余計に強く噛む。こんな形で親愛の情を示してほしくないのに、マミまでが真似をする。その点、チビは手に乗せると気持ちよさそうにおとなしくしている。だから、あやさんはチビを乗せていたいのに、クリが来てチビをどけてしまう。クリは自分が1番可愛がられたいらしい。
 ヒナ3羽が遊んでいるときに、父親と思われるメグも放鳥。パピのように、子どもに高い位置の止まる場所を教えるかと思ったからだけど、メグのしたのはトビとユウの鳥かごの上に止まって、近づくクリを追い払うこと。まるで、お前たちは、ここにくるなといわんばかりに、メグの父親のチーとそっくりに、
「ぐるるる―」と唸って威嚇する。クリはびっくりして、さすがに向かって行かなかった。すると、次の瞬間、面白いことが起きた。
 ソファーにいたチビが、急にソファーのそでに行き、クリとメグのいる鳥かごの上に飛んで行ったのだ。兄弟のクリを加勢しに行ったようで、小さいながら、メグに向かってかまえている。いや、唸ってもいるようだ。なかなか見上げた兄弟思いの根性だ。チビは少し飛べるようになったので自信がついたらしい。おそらくお互いに親子だとは知らないのだろうけど、チビの勢いにびっくりしたのか、それとも小さな子を相手にしてはまずいと思ったのか、メグはその場から飛び立った。こうしてみると、クリは案外、気が弱く、チビは見かけによらず強いのかもしれない。
 チビは、いまだにさしえをしてもらい、そのあと手の中で赤ん坊のようにおとなしく寝ているから、そこからは、とても想像できない行動だった。かなり遅れて発育しているとはいえ、一人前の仲間意識と勇気を持っているとわかって感心した。
 そして、生後1か月半になる4月半ばに、シナモン文鳥のマミは里子に出た。鳥かごには、クリーム文鳥のクリと桜文鳥のチビが残ったけど、その晩は何となく寂しそうだった。とはいえ、このままずっと、3羽が同じ鳥かごで暮らすのは難しいだろう。

 文鳥たちと暮らしたこの7年余の間に、あやさんの目はだいぶ悪くなった。それはもちろん文鳥たちのせいではないけど、ますます彼らの爪を切ったりはできない。だからあやさんがひとりで13羽もの文鳥の面倒をみるのは無理だったわけだけど、だからといって夫がひとりでできたかといえば、それには疑問符がつく。つまり老夫婦が協力して、何とか文鳥たちの世話をしてきたということで、時間があったからできたように思う。そして、この間ふたりが元気に過ごせたのは、彼らのお蔭のような気がする。たとえ相手がペットであっても、何か役に立てることは、それなりに生き甲斐につながる。
 あやさんには見ようとするものが見えないけど、周辺は見えるから、だいたいはわかる。だけど、何といっても残念なのが、文鳥たちの表情がよくわからないことだ。それでもみんなそれぞれの個性を持っていて、あやさんへの接し方も違うから、長年一緒に暮らしていればだいたいの見当はつく。同じように見える桜文鳥のココとユウでも、ココはたいてい桜文鳥のナナのそばにいる。白文鳥のトビといる桜文鳥はユウとなる。シナモン文鳥のチーとその子どものルミもそっくりだけど、ルミはたいていマイのそばにいる。そうでなくても「ぐるるる―」とは鳴かない。
 そんなふうにして判るのだけど、鳴き声の違いも判別の手助けになっている。
 この家では、あやさんに限らずフーも目が悪い。フーはあれ以来飛べないままだし、だいぶ弱ってきている。ときどき目がふさがっていて目薬をさすと目をあけるものの、よく止まり木から落ちている。。
 するとパピが大声でさえずって、ほかの文鳥も騒ぎ出すから、それに気づいてあやさんが鳥かごに行くわけだけど、パピの活躍はそれだけではない。夜にフーがツボ巣から落ちないように、ツボ巣の前の止まり木で向かい合って寝る。鳥かごにはツボ巣が2つあるのに、寒い冬でもそうしている。フー思いの感心な夫なのだ。
 パピは止まり木から落ちてしまったフーを持ち上げて元の場所に戻すことはできない。それが鳥というものなのだろうから仕方ないけれど、彼はえらいのだ。だれもフーを助けに行かないときは、自分も鳥かごの下に下りて、フーのそばにいたりする。
 フーは飛べなくなったものの、毎日一生懸命に生きている。そしてパピとフーはとても仲良しだ。ピポはいまでもフーのそばが好きなようで、近づきすぎてパピに追い払われている。それでも全然、気にしていないようで、ピポにとっては、ほとんどが遊びだ。
 あやさんは文鳥たちと暮らして、彼らにいろいろ教わったような気がする。みんないつも呑気そうに遊んでいるけれど、じつは我慢強く真剣に生きている。そして年々、賢くなっていく。
 ふり返れば、すべてはフーのために鳥かごが増えていった。ピポがきて、パピとチーがきて、そして、子どもたちが生まれた。あやさんにとって、フーはピーの忘れ形見のようなものであり、いまでもピーはみんなの中に生きている。
 だから、友人たちが別れ際にいうのだろう。
「ピーちゃんたちに、よろしくね」って。       (完)

0 件のコメント:

コメントを投稿