2015年9月17日木曜日

あとがき

 それから半年後の2015年2月22日未明、フーはこの世を去った。
 いつものように朝7時、鳥かごにかけてある布を外し、
「フーちゃん、おはよう」と呼びかけたのに、ツボ巣の奥から出てこなかった。2週間ほど前から左足の付け根部分がぐらぐらになっていたので、夜は療養用の鳥かごで寝ていた。
 少ししてもフーが出てこないので、ツボ巣ごと鳥かごから出して、中からフーを取り出すと、動かない。まだほんのり暖かかったけど、明らかに死んでいた。
 1週間前には立てなくなった左足を診てもらうため、小鳥の病院に連れて行った。4年半前に死にかけたとき卵を出してもらった病院だ。けれども、やはり治るものではないようだった。
 さらに目の位置がおかしいと、頭の膨らみを指摘されて、たまっているうみを針で出してもらった。ときどき目が塞がっていて目薬をさしていたけど、それは脳からきていたものかもしれない。
 フーは、もう何年も飛んでいないので、ここ2年近く手に乗せて羽ばたきの運動をさせていた。何とか飛べるようにしてやりたかったのと、こうすると排便にいいようなので続けていたけど、飛ぶこともできないのに足まで使えなくなってしまっては、えさを食べるのも難しい。
 ところがフーは頭がいいから、ツボ巣から鳥かご内に下りると、動かない左足の代わりに左羽をバサバサさせて移動し、下に置いてあるえさと水を口にした。
 そうやってたくましく食べていたのに、病院からもらってきた抗生剤やビタミン剤入りの水を飲んでいたのに、ついに力つきた。
 きっかけは、2日前に起きた思いがけない出来事だった。そのときフーは夫の手の中にいて、何を思ったのか突然、飛び出したのだ。飛べるはずがないから居間の床に落ちた。
 その衝撃でどこかを悼めたのだろう。そのあと、あやさんの手の中で発作のように苦しそうに変な声で鳴いた。少し落ち着いて、そのままえさを食べたものの、また苦しそうな声で鳴き、必死で温めると、ようやく静かになった。
 発作はこの2回だけで、そのままあやさんの手の中にいると、パピが心配そうに手にきた。そしてフーの頭に嘴を当てて慰めたら、フーは安心したように静かにしていた。
 それから、療養用の鳥かごにフーを戻すと、えさを食べていたのでホッとしたものの、衝撃的な出来事だった。
 翌朝、心配しながら鳥かごの布を外すと、フーはツボ巣から顔を出していた。いつものように朝のあいさつをする。フーがツボ巣から出てきて、えさを食べたので、またホッとする。昼近くにはあやさんの手の中でえさを食べると大きなフンをして、安心したように眠った。その後も夫の話では自分でえさを食べていたようだけど、夜中に力尽きてしまったらしい。
 あの卵を抱えての事故以来、満身創痍でよく頑張って生きてきた。7年半の一生だったけど、文鳥の平均寿命は生きたようだ。
 命日は2月22日」だから「フー、フー、フー」で「フー3(さん)の日」になる。水浴びが大すきで、濡れてみすぼらしくなった羽をよくあやさんの肩や手に乗って乾かしていた。あのときの感触が甦る。
 本当に賢くて優しい子だった。いずれ別れの日がくることは覚悟していたけれど、もっと一緒にいたかった。
 静かに死んでいったことがせめてもの慰めだ。
 これからは、天国から、ピーと一緒にみんなのことを見守っておくれ。フーと過ごした7年半、楽しかったよ。ありがとう。
 この物語をフーに贈る。

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