その日は、朝から柔らかな陽光が居間に広がっていた。ピーとフーが迎える2度目の春。いつものように2羽を鳥かごから出すと、互いに呼び合いながら、うれしそうに家の中を飛び回る。
台所の片付けを終えたあやさんが、蛇口から出る水を細めて、
「ピーちゃん、フーちゃん、ぉ水浴びよ」と大声でいうと、2羽はすぐに飛んできて、ちょこんと一緒に頭に乗った。これから手のひらのプールでの水浴び(水遊び?)が始まる。
頭から腕に飛び移った2羽が、順序よくバシャッ、バシャッと両手でできたプールに飛び込む。そのままあやさんの口ずさむ調子のよい歌に合わせて羽ばたく。競い合って水を飛ばして楽しそうだけど、周辺に飛び散って、あやさんの顔もびしょ濡れだ。
手のひらのプールは、水飲み容器やバードバスに比べて、広いし開放的。それにきれいで、何といっても2羽で入れるのがいい。
午前中のまだ夫が寝ているときで、あやさんとピーとフーだけで過ごす時艱だ。
水の中で元気よく何度も羽ばたいていた2羽が、歌が終わると水から上がり、いきおいよく飛び立って行く。いつものように競争して、居間の隅に置いてあるイーゼルに行くようだけど、このごろでは、すごいスピードで飛ぶから、ひやひやする。
イーゼルに向かって行った2羽は、もっと飛んでいたいのか、そこには止まらなかった。近くまで行ってユーターンする姿が、びしょ濡れになった床を拭く、あやさんの視界の隅に入った。
その直後、不気味な音がした。そして、体を起こしたあやさんの肩に、フーだけが飛んできて止まった。
「おかしい。ピーがこない。どこかに消えてしまった」
あやさんが慌てて名前を呼ぶ。
「ビーちゃん、どうしたの? ピーちゃん、ピーちゃん」
けれどもシーンとしている。やはり変だ。こんなことは初めてだ。夫を起こして一緒にピーを探すと、居間と台所の間に置いてあるテーブルの下に、白い紙切れのようなものが落ちていた。うつ伏せで倒れているピーだった。
「ピーちゃん! どうしたの?」
悲鳴に似た声をあげて、夫がピーを拾い上げる。ピーは、どこかに当たって落ちたようだった。それがテーブルのフチなのか、壁から少しはみ出しているテレビの黒い枠なのかは、わからないけど、音からすると、かなりの衝撃があったはず。
いくら呼びかけても、ピーはピクリともしなかった。
「なんてことだ! ピーが死んじゃうなんて」
夫が白いかたまりを抱いてソファーに座った。必死に名前を呼びながら手の中で温める。
「ピーちゃん、ピーちゃん、目を覚まして」
あやさんも手を添えて、ふたりで祈るような気持ちで懸命に温めるけれど、ピーは動かない。
「死んじゃったのかしら?」
あやさんの目から涙がこぼれて、諦めかけたときだった。
「あっ、羽が少し動いたみたい!」
あやさんが夫と顔を見合わせて、不思議な感じに包まれながらピーの嘴をそっとなでる。
突然、さっきから肩に止まったままでいるフーが、
「ピイッ!」と、大声で鳴いた。すると、ピーがバサッと片方の羽を動かして、つぎに細かく震わせた。
「生きているわ。ピーちゃん、ピーちゃん」
あやさんが泣き声で呼びかけると、ピーは、ぼうっとした顔で羽をバサバサさせながら、心配そうに見守っていたフーを見た。
フーが優しく「ピピピッ」と鳴くと、その声に誘われるように、ピーが飛び上り、そのままフーに導かれて、大きな風景画の上に舞い上がった。
「飛んだわ!」
感激して、あやさんが叫ぶ。
「うん」と、うなずいて夫も笑顔を見せたものの、すぐに不安な表情に変わった。
「でも、大丈夫かな」
あやさんも心配だけど、とにかくピーが奇跡的に生き返ったと思い、天に感謝した。
「気絶していたのかしら。死なないでよかった。でも、怪我はないかしら」
ピーがぶつかったときの不気味な音と、しばらくピクリともしなかったことを思うと心配で、不安な気分でその日を過ごした。
そして翌日、ピーたちを放鳥すると、見た目は普通に飛んだけど、やはり打撲の後遺症が少しあるようで、スピードはあげなかった。
とにかく、あのときピーが死ななかっただけでも有難いのだから、少しくらいの怪我は仕方がない。それはそのうちに治るだろうと、あやさんは考えていた。
けれども、3、4日しても、ピーはまだ以前のような飛び方にはならない。ホワホワとフーの後に着いて飛んでいる。初めからこんな飛び方をしていれば、怪我もしなかっただろうにと残念に思うけど、もう起きてしまったことだ。何よりもピーが生きていてくれたことに感謝する。
とはいえ、やはりピーの受けたダメージは少なくないようで、あやさんの頭に止まるとき、いままでのようにピタッとはこない。飛んできて、頭の上で少しうろうろしてから着地する。
後遺症がなかなか消えないようなので、しばらく静養させたいと思っても、ピーにそんなことをさせるのは難しそうだった。むしろピーが静かになったら、それこそ心配になるだろうけど……。そうなったら本当に具合が悪いということなのだから。
ピーは、以前のように何でもフーと一緒に動こうとするから、ハラハラする日が続く。何かに驚いたりして飛び上がると、そのままうまく舞い上がれないで、後ろにこけたりする。どうも片足の具合がますます悪くなっているようだ。とにかく良くなっていないのは確かだ。
それでもピーは、若くて負けん気が強いから活発に動く。鳥かごから出さなければ暴れるし、出せば無茶な動きをする。睡眠薬でも使わない限り、とても静養させることなどできそうもなかった。
(つづく)
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