事故から1か月になるのに、ピーは後遺症が消えない。ときどき飛び上がり損ねて後ろにこけている。治るどころか、前より悪くなっているようにも見える。やはり片側の羽か足を、かなり痛めたようだ。あやさんは心配だけど、ピッピのことがあったので、ピーを病院に連れて行く気にはなれなかった。
「元気だから、大丈夫」と様子をみていた。いずれ時間が経てば、たいていの怪我は治るはず。
けれどもピーは、ハラハラする加減しない動きをくり返して、1か月半経っても、元のようにはならなかった。暴れん坊のピーを静かにさせておくことは難しく、2か月ほどすると、換羽の時期に入った。そして羽が抜け出し、ますます飛べなくなった。
夫がトヨタのプリウスのようだとほめていた、かつての流線型の格好いい姿勢は失われ、みすぼらしい感じさえする。
ピーは、もう、ほとんど飛べない状態なのに、鳥かごから出ると、まだ威張っていて、床に広げた布の上でえさを食べるときなど、フーを押しのけて自分がいい場所で食べようとする。それでも、片側がおかしいから、よろよろしていて、お皿に入っているえさは食べられない。いくら威張ってみても、布の上に撒いたものを食べるしかなかった。
あの事故で、羽だけでなく、足の付け根も痛めてしまったのだろうか。治るどころか、明らかに悪くなっている。独りにしたほうがフーのことを気にしないですむだろうと考えて、ピーを別の鳥かごに移すことにした。
これまでいた鳥かごの隣に、それより高さのない鳥かごを並べ、えさや水を低い位置に置いて、そこにピーを入れる。
ピーは別の鳥かごに移されても、以前のようには暴れない。換羽のときは羽毛が抜けるわけだから、それなりに調子が悪いのは想像できるけど、やはり具合が悪そうだ。
そのうちに低い位置にある止まり木にも乗らなくなった。そこにずっと止まっていられないからだろうか。
いよいよ夫が、ピーを病院に連れて行くといい出した。あやさんは気が進まないけれど、こうなったらそれしかないだろう。夫がインターネットで小鳥の専門病院を見つけたので、そこに連れて行くことにした。
小鳥の病院に電話をすると、鳥かごに入れたまま連れてくるようにといわれた。そのほうが鳥も安心するらしい。指示どおりに、あやさんがピーの入った鳥かごを抱え、車の後部座席に乗り込んだ。
ピーは車が走り出すとすぐに、鳥かご内の紙を折りたたんだ蛇腹状の簡易ベッドに横になった。それなら、車からの強い振動も和らぐから、やはりピーは頭がいい。
途中から乗った高速道路上でも、ピーはそのまま眠り続け、夫は珍しく静かに車を走らせた。そして高速を下りてからさらに走って、家を出てから1時間半ほどしたころ、目指す小鳥の病院に着いた。
名前を呼ばれて明るい待合室から、こじんまりした診察室に入ると、白衣の女性医師が現われた。手慣れた仕草でピーを鳥かごから出して体重を測る。18グラムで、体の大きさの割に体重が少ないという。かなり弱っているといわれたので、ショックだった。
女性医師の診たてでは、ピーは体ではなく、脳のどこかがダメージを受けているらしい。さらに医師は、
「文鳥のような小鳥の場合は小さすぎて、犬や猫のようにCTやMRIで頭の中を調べるのは難しいんです。とにかく元気にするしかないでしょう」といった。
あやさんが気落ちしたままピーの鳥かごを抱えて、病院裏の駐車場で待っていると、夫がビタミン剤と副腎皮質ホルモンの入った薬をもらって戻ってきた。
「とにかく暖かくするようにだって」
夫がそういって車を出す。
「あのとき、頭を痛めてしまったから、なかなか治らなかったのね」
「うん」
夫は言葉少なで、医師からいわれたことが、かなりショックのようだった。
家に着いて、鳥かごを持って居間に行くと、フーが心配していたようで、うれしそうに鳴く。ピーに早速、薬を飲ませると。もう止まれなくなっていた低い場所の止まり木に、止まった。
ふたりは、もちろん喜んだけれど、それは一時的なものでしかなかった。すぐにまた鳥かごの下にいるようになり、あやさんがのぞくと、クルクルした目を向けて赤ん坊のようにひっくり返って、早く鳥かごから出せとせがむ。
手を差し伸べると、しがみついて乗ってきて、そのままソファーに行き、あやさんの手の中でえさを食べた。次に薄めた薬を夫が〝育て親〟を使ってピーの口に入れると、いやがって暴れる。頭のいいピーには騙しが利かないから、薬を見ると暴れるようになった。弱った体から失われるエネルギーが、もったいないような気がするけど、夫とあやさんは、抵抗するピーに1日3回薬を飲ませ、山場といわれていた1週間を乗り切った。
そして、夫がひとりで次の薬をもらってきた。ピーは、えさを食べて薬を飲むと、すぐにあやさんの手の中で眠った。人の手は暖かくて気持ちがいいらしい。フーも一緒に手の中に入ろうとしたけど、ピーがうるさがったので遠ざけた。
突然の忌まわしい事故から3か月後、7月28日未明のことだった。ついに、そのときがきてしまった。その前日の27日、ピーはほとんど食べなかった。そしてあやさんの手の中で眠った。それから、えさを撒いてある鳥かごに戻したけど、食べたかどうかわからない。あやさんが寝る前にのぞくと、ピーはツボ巣の下の暖房マットに乗って眠っていた。
夫は心配で、ときどきのぞいてみたらしいけど、ピーが死んだのは、夫が風呂に入っている間だったという。
風呂から上がった夫が、半分だけスタンドで照らしてある鳥かごをのぞいて、羽を広げたままうつ伏せになっているピーを見つけた。
あやさんは、夫に起こされて鳥かごに行き、うつ伏せのピーを触ってみた。まだ、温かい。それなのに呼んでも揺すってもピクリともしなかった。
この十日間、よく頑張ったピーだけど、とうとう力尽きてしまった。長いこと飛んでいなかったから、夢の中で羽を広げて飛んでいたのだろう。きっと幸せな気持ちで旅立ったのだ。あやさんは、そう自分にいいきかせて、破裂しそうな胸をなだめていた。
2年足らずの短い一生だった。それでも、ふたりがピーと過ごした時間は長く、充実した日々だった。ふたりは泣きながら、薬で赤く汚れているピーの亡骸をお湯で洗った。長いこと水浴びもしていなかった。鳥かごの中から、あやさんの手に夢中でしがみついてきたときの、あの可愛いクルクルした目は、もう見られない。
薬箱からガーゼを探し出し、顔だけ少し出して、そっとピーの体をくるんだ。そして小さな紙の菓子箱がピーの棺桶となった。
夜は鳥かごに布がかけてあるから、もしフーが目をさましたとしても、何が起きているのかわからなかったはずだけど、朝になって布を外せば、ピーの姿がないことに気付くだろう。そのとき騒ぐだろうか。そんなことを心配しながら、あやさんは、またベッドに入って、泣き腫らした目を閉じた。朝までは、まだ少し時間がある。枕元にはピーの入った紙箱が置いてあった。
これがピーの運命なのだろうか。ピーはたくさんの思い出を残して、2年足らずで生涯を閉じてしまった。しっかりした体で頭もよく、これからというときだったのに……
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