2015年4月4日土曜日

(五)フーの悲しみ

  朝の7時を過ぎたので、いつもどおりにフーの鳥かごの布を外した。フーは、えさの容器に下りて食べ始めたけど、ピーの鳥かごをのぞいたかどうかわからない。ただ黙々と食べている。隣の鳥かごにピーの姿がないと気がつけば、不思議に思いそうだけど、騒ぐことなく、ふだんどおりに見える。
「フーはまだ、ピーちゃんがいないって、気づかないのかしら」
 あやさんは心配だけど、フーが静かなので、ひとまずホッとして、落ち着かない悲しい気分で、またベッドに横になった。
 はかない希望を抱いて、枕元に置いてある紙箱をあけてみる。けれども、ピーは固く目を閉じたまま動かない。そっと呼びかけてみるけど、やはり応えない。あやさんは眠れずに、何度も紙箱をあけた。何かピーに呼ばれているような、忘れていることがあるような、そんな変な気がして、また箱をあける。でもピーはそのまま動かない。
「もうピーちゃんとは、これでお別れね」と、あやさんは亡骸を紙箱から出して抱き上げた。ガーゼの中に指を入れて触ってみると、半身がまだ暖かい。生きているような気もする。
「ここは、こんなに暖かいのに……」と、無念さにかられていると、ふと、ある思いがよぎった。
「ピーちゃん、何かいいたいのね。そうだわ、きっと、フーちゃんにお別れがしたいのね」
 ピーの最期の願いを叶えなければと思い、ガーゼから顔だけのぞかせたピーを抱いて、居間に行った。そして。フーを鳥かごから出すと、すぐに肩に乗ってきた。
「フーちゃん、ピーちゃんが、さよならしたいんだって」
そういうと、フーは肩に乗ったまま黙っているけど、ピーが眠っているとでも思ったのだろうか。
 あやさんが椅子に腰かけて、幼いころにしていたように、子守唄を歌って聞かせる。いくつもいくつも口ずさんで、もう、これが最後だと思うと、涙があふれた。ひとすじの涙が頬をつたう。すると、静かに肩にいたフーが思いがけないことをした。
 フーの優しい口づけの感触が濡れた頬に残る。そっと涙をなめて、あたかも、あやさんを慰め、悲しみを共にしているようにふるまうけど、果たしてフーに、あやさんの涙のわけがわかるのだろうか。
 フーの寄り添うような優しさを感じながら、「ゆりかごのうた」を歌った。
 それからフーを鳥かごに戻すと、おとなしく従ったものの、出入口を閉めて、
「じゃあ、ピーちゃんに、さよならね」というと、これまで一声も発しなかったフーが、突然、鳴いた。それも、目を閉じたままのピーを見つめて、悲しい声で高らかに。
「ピィーッ!」と、まるで名前を呼ぶようなその声に、ピーが応えることはなかった。
 ピーの具合が悪くなってからは、鳥かごは別になっているから、フーだけ独りで鳥かごに残されたという思いは薄かったと思うけど、それがピーとの永遠の別れになると、フーにわかったのだろうか。
 あやさんはたまらずに、泣きながらピーを抱いて自分の部屋に戻った。そして耳を澄ましたけど、もうフーの声はしなかった。とにかくフーとのお別れをさせることができ、そのあとフーがあまり騒がなかったので、あやさんの気持ちは一応、落ち着いた。
 ところが、夕方になってフーをまた放鳥すると、昼間は静かにしていたのに、家の中を飛び回ってピーを探し始めた。ふたりは慌てたけど、何とかなだめて鳥かごに戻すと、静かになった。
 それでも夜になってもピーの気配がないのを変に思ったらしく、寝る前に、また鳥かごから出たがった。 困ったものだと思いながら、フーを鳥かごから出すと、ピーを呼びながら、必死に家の中を探し回る。あれからピーの姿が消えてしまったので、やはり変に思ったようだ。
 2週間ほど前に、ピーが小鳥の病院へ行ったときには、鳥かごごといなくなったものの、夕方にはちゃんと戻っていた。それが、きょうは夕方になっても、夜になってもピーの姿がない。しかもピーの鳥かごはそのままだ。夕べから普通ではないことが起きていると思って胸騒ぎがしていたのかもしれない。それが、じつはピーがいないことと関係があると思い始めたのだろうか。
 それでも、あやさんがフーを呼ぶと、諦めて手に飛んできて、静かに鳥かごに入った。とはいえ、明日がまた思いやられる。
「フーちゃんが、ピーちゃんを探していたわ」
「困ったな。そのうちに忘れると思うが」
 夫に話すとそういったけど、フーは翌日もピーを呼びながら、家の中を飛び回り、あやさんたちの悲しみを増幅させた。
 2日後、あやさんは枕元にあった紙箱を、そっと庭の隅に埋めた。ピッピとは離れた場所だけど、まだ若い紫陽花のわきにした。代りに夫がデジカメに残っていたピーの写真を印刷して、写真立てに入れた。写真は雄々しいピーの姿だから、3か月以上前のものだ。夫は白い小さなものをあやさんに見せていった。
「ピーちゃんの羽だよ。優秀なDNAを残すんだ」
 そして、それを写真の裏側にはさみ、写真立てをサイドボードの上に飾った。ピーちゃんの羽毛から、将来、クローンでもつくるつもりなのだろうか。
 それからフーを放鳥すると、サイドボードの正面にある室内用物干に止まった。そして、そこから、じいっとピーの遺影の入った写真立てを見ている。
「フーちゃん、写真がわかるのかしら」
 あやさんがそういったとき、フーが、
「ピィーッ!」と、写真に向かって叫んだ。悲しい声で吠えたというほうが当たっているかもしれない。
 フーはそのままピーを探し回る。その姿に、あやさんの胸は痛んだ。思えば、フーは、ヒナのときからずっとピーと一緒だった。あやさんたちよりも遥かに多くの時間をピーと過ごしてきたのだ。だから、フーはあやさんより、もっとずっと悲しくて寂しいに違いない。そう気がつくと、いたたまれない気持ちになった。

「生まれたばかりの文鳥の里親を募集しているから、もらおうか」
 夫は昨日辺りから、ネットで文鳥を探していたらしい。
「いつ生まれたの?」
 あやさんも、少し乗り気だ。
「7月初めっていうから、まだ1か月足らずだ。それはいいとしても、ちょっとそこは遠いんだな。でも、そうある話じゃないから」
 ふたりはフーのために、1日でも早く、なんとかしたかったので、生後1か月ほどの、まだオスともメスともわからない白文鳥のヒナを、もらい受けることにした。
早速、フーと同じ鳥かごを買ってきて並べて置き、フーとピーが幼鳥のときに使っていたプラスチックケースを車に積んで、高速道路に乗った。目的地の相模原までは渋滞に合うと、けっこう時間がかかる。早めに出発したのに、迷ったため約束の時刻に少し遅れた。
 2009年8月1日、ピーが死んでから4日後のことだったけど、あやさんはその間を、かなり長く感じていた。
 途中で電話を入れ、待ち合わせ場所に着くと、優しそうな女性がクリーム色の小さなケージを持って待っていた。
「清水さんですか? 遅れてしまってすみません」
 夫がそういって、清水さんからケージを受け取った。中で元気のよさそうなヒナが暴れている。車の中で、持ってきたプラスチックケースにヒナを移し、あやさんが清水さんにヒナの名前をたずねると、
「お別れが辛いから、名前はつけてありません」という。そこであやさんは、考えていた名前を告げた。
「では、死んでしまった文鳥がピーでしたから、この子はピポにしようと思います」
「ピ」という同じ音から始まれば、フーにとってあまり違和感がないだろうと思って考えた名前だけど、ピポはまだ背中の灰色部分が蓑のように広がっているし、体も小さいから、果たしてフーがなんと思うやら、心配ではある。
 ふたりは、お礼をいって帰途についた。清水さんの話では、ピポの母親は白文鳥だけど、父親は桜文鳥でひょうきん者だという。ピポはその父親に性格が似ているらしいが、丸々としていて、ペットショップから連れてきたときのピーやフーとは大分違う。
 車の中でも寝てなどいなかった。透明なプラスチックの外側にあるあやさんの手に、飛びつこうとして跳ねる。人の手が好きなのかもしれないけど、好奇心の強そうな、いたずらっぽい目をして、飽きることなく止まれない手に飛びつこうとしている。とにかく元気で、家に着くまで一睡もしなかった。
 新しい鳥かごにピポを入れると、フーは黙ったまま自分の鳥かごの上部にあるえさ入れに乗り、隣にいるピポを観察しだした。ピーのときには、そんなことはなかったのに、ピーに似た子どもの鳥がきたので、不思議に思ったのだろうか。もしかしたら、ピーが小さくなって戻ってきたように感じていたのかもしれない。いずれにしても、ピポがきてから、フーがピーを探し回ることはなくなった。
 ピポは暴れん坊で、その動きはどこかピーを思わせるから、フーがピポにピーの面影を見たとしても不思議ではない。

2 件のコメント:

  1. あやさんの悲しむ姿や泣き声が鮮明に目に浮かび、読んでいてとても辛かった。小さくても、命は重たいですね、

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