2015年5月10日日曜日

(九)チーの悲しい恋

 熱心に小鳥の里親関連のサイトを見ていた夫が、ちょうどよい年頃のオスのシナモン文鳥を見つけた。生後半年だというから、ピポとほぼ同い年で理想的だ。それもフーのようにシナモン文鳥の相手ならピポも文句はないだろうと、ふたりは早速、連絡をとり、鳥かごを車に積んで都内まで受け取りに行った。
 指定された駅近くの待ち合わせ場所で電話をして待っていると、まもなく女の人が現われて、夫が文鳥を手の中に受け取った。車の鳥かごに移すと、暴れることもなく入って、かなり人に慣れている。
 それを見届けた女の人が、少し寂しそうにいう。
「可愛がってやってください」
 あやさんがうなずいて、文鳥の名前をたずねると、
「これまで、チーって呼んでいましたけど」と、遠慮がちに応える。
「では、これからも、チーちゃんにします」
 あやさんはそう告げて別れたけれど、やはり飼い主にとって、ペットとの別れは辛いようだ。
 夫はシートベルトで鳥かごを固定し、静かに車を走らせた。チーは珍しそうに鳥かごの中を動き回っていたけど、家の中で鳥かごから出すと、すぐにあやさんの手に乗ってきて、人によくなついている。荒鳥にはこりごりしていたので、ふたりはホッとする。
「チーちゃんていえば、鳴いて手に乗ってくるわ。ちゃんと手乗りになっていて、よかったわ」
「だいぶ甘えん坊のようだな」
 夫が、飼い主だった女の人にお礼のメールをすると、
「そうですか。無事に着いたんですね」と返信があり、鳥かごごと車で運ばれたチーを心配していたようだった。
 チーは、パピのように、頭と尾がこげ茶色でボディは灰褐色(シナモン色)。ただ違うのは、尾羽の中に赤っぽい羽がちらっとのぞくことで、見た目のきれいな鳥だ。手を差し出すと、必ず乗ってきて、うれしそうにピョンピョン跳ねる。人によく慣れていて扱い易いので、鳥かごに戻すのは簡単だった。
 もっともチーの行動範囲は、フーやピポ、それにパピとは違っていて、高い所よりも低い所のほうが好きなようで、もっぱらソファーの周りをウロチョロしている。床に置いてあるくずかごの中に入って何か探すのは困るけれど、それを除けば、飼育しやすい文鳥のようだ。
「やっぱり、手乗りがいいわ」というあやさんに、夫もうなずく。
 数日すると、チーは文鳥仲間にというより、人のほうに寄っているような気がしてきた。夫の話によると、チーの飼い主は、同時にツガイの文鳥の里親も探していたらしいから、これまで1羽で飼われていたわけでもないらしい。
 やがて、予想外の問題が生じてきて、当初の印象は、またもやくつがえされる。
 人間でもそうだけど、チーも新しい環境に戸惑っているのだろうと、最初のうちは思っていたものの、いつまでも人にばかりくっついているチーのことが、少し心配になってきた。
 パピの場合は荒鳥で人から逃げるほうだったから、自然に文鳥の仲間に近づいて行ったけど、チーは人のほうがいいみたいだ。それにパピは、フーという面倒見のいいパートナーにも恵まれたけど、チーは、そうはいかない。頼りになるはずのピポは、チーがみんなのいる場所に行っても知らん顔で、相変わらずフーにくっついている。
 それに、チーは我儘で、気に入らないと、すぐに、
「ぐるるるうー」と唸り声をあげる。ほかの文鳥にはなかったことだ。年上の文鳥ばかりなので、恐くて虚勢を張っているのかもしれないけど、あまり歓迎されない態度に、フーたちは3羽でかたまって様子を見ていた。
 パピに続き、また変わった文鳥がきたので、フーとピポは少しおとなしくなった。こんどはどんなヤツかと、特にピポは、あまり歓迎できない様子で、かなり迷惑そうだ。ピポはフーのそばにいて、いっこうにチーに近づかない。ピポとチーは、互いに関心が持てるほど大人になっていないのだろうか。
 そんなチーは、鳥かご内のブランコが好きで、よく乗って遊んでいる。夫が特別に鈴のついたブランコに替えると、大いに気に入ったらしく、暇さえあれば鳴らしている。それも、うるさいくらいに鳴らしながら唸っていて、遊びというよりも、ブランコの鈴と格闘している感じ。真剣そのものだ。
「ぐるるるうー ぐるるるうー ぐるるるうー」と、自分だけの世界に入り込んで、夢中で唸り続ける。
 チーはまた、えさの交換でえさ入れを外そうとしても、中に入ってしまい、
「ぐるるるう」とやる。菜さしの青菜を替えようとしても、同じような声を出す。えさを取られるとでも思って抗議しているようにも見えるけど、もしかすると、それがチーの鳴き癖なのかもしれない。
 そんなとき、あやさんは、
「ぐるるるうじゃないでしょ。チュンチュンよ」などと、うんざりしていうけど、チーはさらに不満そうに、
「ぐるるるうー」と、やり返す。
 チーは、ときどき唸りながら、夫の手に噛みつくけど、甘えているのか、怒っているのかわからない。強い力でギュッと噛む。多分、親愛の情の表現なのだろうけど、噛まれるほうはたまらない。あやさんも噛まれたけど、かなり痛い。
 チーは周りに慣れてくると、人ばかりでなく、気に入らないと文鳥仲間にも唸り、ときには足に噛みつこうとしたりするようになった。こうなるとますます、仲間に入れてもらうのは難しそうだ。
 チーが1羽だけで飼われていたなら、少し我儘でも人なつこいから、可愛いペットとして平和に暮らせたかもしれないけど、そうはいかないから、チーの試練の日々が始まった。
 みんなが集まっている場所にチーが行くと、ピポが率先して追い払うようになった。ピポがチーを目のカタキのように追い払っているけど、それには、ちゃんとした理由がある。
 相手のことなどおかまいないチーは、いきなりフーに近づき、チョンチョンダンスを始める。そして、戸惑っているフーの上にそのまま飛び乗ってしまうから、フーが驚いて逃げる。それでもチーはしつこく追いかけて行き、いやがるフーを夢中で追い回す。
 フーはチーが近くにくると逃げるようになった。チーは、全くのストーカーになり、見かねたピポが、フーを守るために前面に出ることになった。
 ピポがチーを追い払うが、同年代の女の子に負けてはいられないから、チーも簡単には引かない。2羽がすごい声で唸り合う。そんな具合で、とても一緒の鳥かごに入れるどころではなくなった。ふたりは、困ったものだと、がっかりした。
 つまり、チーが好きになったのは、ピポではなく、フーのほうだったのだ。かなり一目惚れに近いものではなかったかと思うけど、まだ背中に灰色の部分が残っているピポに比べ、フーはまっ白で、赤いアイリングに縁どられた目はパッチリしていて見るからに可愛らしい。だから、少年のチーが、同年代のピポよりも年上のフーに惹かれたとしても、わからないでもないけれど、フーにはもう、れっきとした夫がいるのだ。チーはパピより2週間あとにあやさんちにきたから、タッチの差で果たせぬ恋となってしまい気の毒だけど、諦めるしかないだろう。
 けれどもチーは、こりずにフーに近づいては求愛ダンスを続ける。フーはパピがいるから、もちろん見向きもしないけど、チーは本当にしつこくて、嫌われても嫌われても、こりずにフーに迫って行く。フー思いのピポが、前面に出てチーを追い払うのは当然の成り行きで、お婿さんどころではなくなった。
 ちなみに文鳥の社会では1夫1婦制で、ペアになると、年々仲睦まじくなっていくらしい。
 チーに迫られたフーが困っていると、ピポやパピが間に入って、チーを追い払うわけだけど、何といってもパピよりピポのほうが素早い。それにピポは、フーを守ろうという気が強いから、ピポにとって、チーは全くの悪者になってしまった。チーが、
「ぐるるるうー」と唸って、負けそうになると、かみつこうとする。咄嗟にピポが飛び上る。という具合だ。チーとピポがいがみ合うようになり、ピポは、
「また余計なヤツがきて迷惑だ」と思ったに違いない。
 あやさんは、平和な2組のカップルを思い描いていたのに、それどころではなくなり、放鳥すると、ややこしくなった。
 チーは、そんな果たせぬ恋の不満がつのって、いっそう
「ぐるるるうー」と唸ってうるさい。その声にみんなが逃げてしまうと、あやさんのところに飛んできて、手の中で不満そうな声を上げながら、チョンチョン跳ねた。あやさんはチーが可哀想だけど、こればかりはどうしようもない。
 そんなチーは、自分の鳥かごの中で遊んでいることが多い。とにかくよくブランコに乗って、好きな鈴をうるさいくらいに鳴らしている。活発なピポとは対照的で、とちらかといえばオタクで内遊びが好きなタイプ。ひとりで遊んでいても気にならない、マイペースな性格で、ほかの鳥かごに入って珍しそうにキョロキョロしていたりもする。
 もし、チーのほうがパピより先に、あやさんちにきていたら、フーとどうなっていただろうと、あやさんは想像したりするけど、果たしてフーがチーを好きになったかは疑問だ。追われると逃げたくなるのが常だろうから。
 思い込んだら一直線のチー。仲間から浮いたまま、ストーカー行為と失恋の日が続く。何しろチーは、フーに恐れられてしまったから、近づくことさえままならなくなってしまった。だから、チーはあやさんたちが便りだけど、ふたりには慰めてやることしかできない。
 そんなチーとピポは、とても一緒に暮らせないから、鳥かごは別々のままになった。それでも一筋の望みを持って隣り合わせることにした。いつも見合っていれば、そのうちに仲良くなることもあるだろうというわけだ。

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