2015年5月17日日曜日

(十)マイの誕生①

 パピとフーが同じ鳥かごで暮らすようになってから1か月が過ぎ、パピは器用とはいえないまでも、比較的自由に鳥かご内を動き回っている。鳥かごにフーが戻れば、パピもすぐにそうするし、フーさえいれば安心らしい。
 4月になると、フーが卵を産んだ。5日ほどかけて、ツボ巣に4つ。パピが、卵を産み終えたフーの羽づくろいをして労っている。
「フー、ご苦労さん」なんて感じだ。そういえばピーも、最初のうちはそうしていたから、文鳥のオスは威張っているようでも、けっこう優しいのかもしれない。もっともパピは、ふだんからフーに優しいけど、羽づくろいをしてやる姿は初めて見る。
 今回は、ピーのときのようにフーがパピと張り合うこともなく、交代でツボ巣に入って卵を抱いている。このまま行けば、こんどこそヒナ誕生となるかもしれないと、あやさんの期待は高まった。
そんなある日、あやさんがそっとフーのツボ巣をのぞいたら、中からフーが出てきて、意外な行動をした。
 ツボ巣の入口に立ちはだかったかと思ったら、上半身を揺らして、威嚇するような素振りをしたのだ。フーがこんな態度をみせたのは初めてなので、あやさんはびっくり。それでもすぐに、
「フーは、卵を守ろうとして、本能的にそうしたんだわ」と理解した。でも、そうだとしても何か変な気がする。賦に落ちないのは、フーがこれまで卵を産んだとき、こんなことがあっただろうかということだ。
 さらに、そのあと夫がツボ巣をのぞいても、フーは怒ることもなく平然とえさを食べている。
「わたしにだけ、あんなふうに怒るなんて、どういうことかしら」
 あやさんがいぶかっていると、ツボ巣をのぞいていた夫が、
「あれ、卵が1つ減っているぞ」という。
「あら、パピが落としちゃったのかしら?」
 パピのぎこちない動きを思って、そういったけれど、やはり鳥かごの隅に白い塊が転がっていた。
 夫が鳥かごをあけてそれを拾うと、フーが鳥かごから出てきた。そして、また、思わぬ行動に出た。少し前に、あやさんを威嚇するような態度をしたばかりなのに、すぐにあやさんのところに飛んできた。そして親しそうに手に止まる。さっきとは正反対の態度に、
「あら、フーちゃん、どうしたの?」と、ますます不思議がっていると、こんどはあやさんの口元にキッスがあった。
「あれ? 何?」
 フーのいきなりのキッスに、一瞬あやさんは戸惑うけれど、まもなくわけがわかった。
「誤解して怒って、ごめんなさい」ということらしい。
 フーは、あのとき卵が1つ足りないことに気がついて、ときどきツボ巣をのぞいているあやさんが盗ったのではないかと、思ったようだ。そこで、もう盗ませないぞといわんばかりの行動だったのだろう。
 ところが、卵は鳥かご内に落ちていて、あやさんが犯人じゃないとわかったので、謝りにきたようだ。
 それは、唇にそっと触れ、あたかも、
「ごめんなさい」と、いっているような控えめのキッス。これであやさんへの疑いは晴れたらしいけど、真犯人は、やはりパピだと思われる。
 それにしても、まるで人間みたいにふるまうなんて、フーは本当に繊細で賢い鳥だ。
 フーのキッスには、そのときどきの意味があり、
「好きよ」「ありがとう」「ごめんなさい」などといった親愛の情を表していて、ピポのそれとは少し違う。 ピポは、ときどき口ではなく、夫の鼻の穴を狙ったりする。夫にいわせると、
「ピポは鼻毛を引っ張ろうとしているんだ」となるが、ピポのキッスは、半分以上がいたずらだ。
 また、このように、文鳥には卵の数がわかるらしい。いくつくらいまでわかるのだろうと考えてみるけど、少なくとも〝4つ〟がわかることは確かなようだ。
 それから1週間が過ぎ、昼間はフーかパピのどちらかが必ずツボ巣に入っている。それに今回は夜も、ちゃんとフーがツボ巣に入って卵を抱いているように見える。この調子で行けば、こんどこそヒナの誕生もあるかもしれないと、ふたりは楽しみに待った。
 老夫婦にとって、そんな期待に富んだ日々は、それなりに会話も弾む。
「もし、卵がかえったら、どうするの?」
「そうだな、3羽のヒナが生まれたら、1羽くらいだれかにもらってもらおうか」
「フーの子どもだから、きっと利口だわ」
「そうだな。フゴを買っておこう」
 そういって、夫がヒナを入れるフゴを注文した。

 そして、それから2週間ほど経った4月末、あやさんは、いつものように鳥かご内の新聞紙を替えようとして、変な飴色の塊を見つけた。よく見ると、ゴムでできた宇宙人のような格好をしていて気味が悪い。夫が手に取って確かめると、それはヒナの死骸だった。成鳥とは似ても似つかない形態をしている。もっとも羽がつけば、少しは鳥らしくなるのだろうけど、これではとても鳥には見えない。むしろ人間に近い。あやさんは、いやなものを見てしまったと思った。そして、いまきれいに見えるフーだって、この羽毛の下には同じような肌があるはずだと想像して、少し興ざめる。
 これで、卵は有精卵だとわかったけど、これまで親鳥が真剣に何日も温めてきたことを考えると、フーが気の毒になった。それにヒナだって、せっかく自力で殻を割って生まれてきたのに、ゴム人形のような死骸になってしまうなんて残念でたまらない。
 そんなあやさんの頭に、もしや? と、悪い想像が浮かんだ。
「パピはまだ不器用な動きをしているから、ツボ巣の中で、小さなヒナを踏み潰してしまったのではないだろうか」
 そう思うと、残りの卵のことが心配になってきた。
 翌日には、パピが別の宇宙人をくわえているのを見て、パピが生まれたばかりのヒナを食べているのかとショックを受けた。本当に食べていたかどうかはわからないけど、その可能性はある。
 パピは何といっても荒鳥だから、そういうこともあるような気がした。これではフーが可哀想だと思い、あやさんはやりきれない気持ちになった。けれども、どうすることもできないから、ただ見守った。
それからまもなくの5月3日、ツボ巣をのぞいていた夫が、小声でいった。
「残りの1つの卵が、割れてるようだぞ」
「じゃあ、生まれたのかしら?」
 期待と不安で、恐る恐るきくと、夫が続けた。
「何か、奥に小さいのがいるみたいだ」
「それ、生きてる?」
 せっかく生まれても、ゴム人形のように動かなければダメだ。それが生きているか心配だ。
「眠っているのかな」
 夫がそういうから、動いていないらしい。やはりダメかもしれないと思った。
 翌朝、あやさんは鳥かごの外からツボ巣に耳を澄ましてみた。すると、かすかに鳴き声が聞こえたような気がする。
「ヒナが鳴いたみたい」
 夫に報告して、また耳を澄ますと、
「チチチチチチチ」と鳴き声がする。あやさんはうれしさに心配も手伝って、ときどき耳を澄ます。そして、鳴き声を聞いては安心する。
 ヒナの鳴き声は、日に日に、はっきりしてきて、何と、ちゃんと育っている。
 あれは思い過ごしだった。パピを疑ったりして悪かったと、あやさんは思った。それこそ誤解で、パピは生きているヒナを食べていたわけではなかった。ホッとすると同時に、パピにすまない気持ちになった。あのときパピは、ヒナの死骸をくわえて、戸惑っているようでもあった。パピこそ残念だったに違いない。死骸を食べてしまいたいほど悲しかったかもしれないのだ。
 ツボ巣から聞こえる鳴き声がはっきりと大きくなって、
「チチチ、チチチチ」と響いてくる声に、あやさんはうっとりする。
「パピのおかげでフーの子が生まれたけど、荒鳥のほうが卵をかえすの上手なのかしら」
 あやさんが一転してパピをほめると、夫がどこかで調べたのか、
「そうらしいよ。あんまり人に慣れた鳥は、卵をかえすのが下手だってさ」と、いった。(つづく)

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