それでも新しい3つの生命が誕生し、あやさんちの文鳥たちは1年前と変わらない様子で、にぎやかにさえずり跳び回っている。
文鳥の一生は人間の10分の1くらいの長さだろうか。いうまでもなく彼らにもそれぞれ違う一生があり、幸運、不運の違いもあるだろう。
果たしてフーは運のいい生き方ができたかどうかはわからないものの、みんなにいちもく置かれた存在だったことは間違いない。それは彼女がほとんど飛べなくなってからも、そうだったように思う。フーにはある種の威厳ともいえるものがあった。ひとつにはあやさんちに1番長くいて可愛がられてきたということもあっただろうけど、何よりもフーが賢くて優しい文鳥だったことに起因しているように思う。
フーは飛べなくなって上の止まり木に上がれなくなってしまっても、鳥かごのすみでじっと待っていた。夫のパピが心配そうにそばにいることもあった。ピポはフーをお母さんのように慕っていた。チーにとってはいつまでも〝憧れの人〟だったように思う。子どもたちは勝手だったけど、それでもフーにいちもく置いていた。飛べないのに可愛がられている特別な存在とわかっていたのだろうか。
あやさんは以前、フーが死んでしまったらどれほど悲しいだろうかと心配したことがある。けれども実際にはほとんど悲しむ暇はなかった。ナナがすぐに出血したこともあったし、ブログを始めたこともあったからだろうけど、何よりも。フーは死んでも、ときどきあやさんのそばにきていると感じられるからだろう。
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